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企業の経営理念はなぜ「キレイごと」に聞こえるのか

2014年6月29日 CATEGORY - 代表ブログ

「企業の存在意義」について自社のウェブサイトにおいて明らかにしている企業は多いと思います。

ただ、「企業の存在意義」といってもそれを表現する言葉は非常に多岐にわたります。「企業理念」「経営理念」「社是」「企業ビジョン」「経営ビジョン」「経営方針」等々、これらには統一見解がありません。

経営学者の皆さんが自らの本でてんでんばらばらにこれらの言葉を使用するのでその言葉の表す概念が非常に分かりにくくなり、ある場合には意味が重複したり、またある場合には同じ言葉なのに示す意味が違ったりもあり得ます。

ですので、経営者は自らが自らの「企業の存在意義」をしっかりと固め、それを自分自身の言葉で表現することが重要となります。

弊社もご多分にもれず、わが社のウェブサイト にかなりしっかりと「企業の存在意義」について書いてあります。ちなみに、そのページからわが社の「企業の存在意義」に言及する部分を書き出してみます。

☑ 経営哲学 

持続可能な経営

☑ 企業理念

物事の本質を捉え、史上の現状がその本質から外れていると判断した場合に、その溝を埋めることで絶対的な価値を提供すること

☑ 企業ビジョン

時代時代において常に鋭く主張する企業 

 

このように書き出しては見ましたが、これらの各ワードの定義に統一見解がないことから、「企業の存在意義」を明示しても実質的には非常に分かりにくいと考える方は多いと思います。ましてや、「企業の存在意義」は従業員がいつでも自らの方向性を見失わないために明示するものですから、明示するのであれば、できるだけ分かりやすくすべきだと思っていました。

ですので、弊社の上記の「企業の存在意義」を明示した後、以下の注意書きを添付しています。

「個人としての経営に対する考えである特定の「経営哲学」を持った経営者の下に集った社員は、その経営者によって語られた基本的企業姿勢を規定する「企業理念」に基づいて中長期的な企業の将来像である「企業ビジョン」を目指して行動します。

具体的には、「企業ビジョン」を実現するために設定する短期的な「目標」を達成するための方策、すなわち「戦略」を策定し、その実現の手段として適切な「戦術」を選択しその実行と改善を愚直に継続していきます。」

ずいぶん御大層なことを言っているなと思われるかと思いますが、私たちは本当にこのように思っています。そして、新規事業の立ち上げを検討する時にも必ず、その市場の現状が本質とはずれていて、私たちが企画する事業によってそのギャップを埋められるかどうかを判断の材料にしています。

つまり、どんなに儲かる事業でもこの基準から外れた事業はやらないということを明確にしているのです。

ここで大切なことは「本当にそうですか?」と聞かれたときに私たちはどう答えるかということです。私が「はい」とはっきり答えたら皆さんはどう思いますか?

実は、先日経営者同士の会合にて、「企業の存在意義」について考える機会を得たのですが、参加者の間でこのような「企業の存在意義」がどうしても胡散臭い「キレイごと」に聞こえてしまうということが話題になりました。

あの「クレド」で有名なリッツ・カールトンが「全てはお客様のために」的な信頼を売りにしていたのにもかかわらず、実際には「食品の誤表示(偽装ではないとホテルは主張)」を起こしているわけで、(仮に誤表示だとしてもそれ自体が最高のサービスを否定することになる)やっぱり「キレイごと」にすぎないという気持ちは出て当然かと思います。

そして、このような「キレイごと」ではないかという感情の源はいったい何なのだろうかという話にもなりました。

まず、そもそも何のために「企業の存在意義」を明示する必要があるのかといえば、企業としては「会社の存在意義に共感してくれる人を集める」という目的、働く人としては「お金のためだけに働くわけではなく、自らのやりたいこととできるだけ近い目的を掲げた企業で働きたい」という欲求、そして、お客様や将来のお客様の「できるだけ自分と考えが近い、すなわち共感できる企業から購入したい」という希望、この三つを結ぶために必要不可欠だからということについては程度の差こそあれ一致しました。

ですから、この意味ではどんなに「キレイごと」のように聞こえるものであっても、その企業がそう思っている以上、「あり」なわけです。ですから「胡散臭さ」とはそもそも無縁なはずです。しかし、実際には多かれ少なかれ「胡散臭さ」を感じてしまう。

その原因は、多くの「企業の存在意義」が「人間の本性」を無視していることではないかという考えに思い至りました。つまり、「人間は自分と自分に深く関係した人間の幸せを圧倒的に大事に思う」という本性です。普段どんなに立派なことを言っても、自分の家族の一人の命のほうが、地球の裏側の100万人の命よりずっと大切だと思うのが人間です。

これは、マズローの欲望5段階説にも通ずるものがあると思います。人間は自分のお腹が満たされていない段階では、それ以上の欲求に思いが至らないという説です。誰もが明日のお金に心配な時に、世界の平和について心配できるわけがないのです。

企業も株主という所有者(=人間)のあつまりである以上、企業の存続が脅かされたり、不安定になった場合には、普段言っている立派なこと(=「企業の存在意義」)をかなぐり捨て、自らの存続を第一に考えることになるのは当然と考える前提が必要だと思います。

ですから、多くの企業が掲げる「企業の存在意義」は、「企業の存在が脅かされるような状況を除く」という条件付きだと解釈すると、この「胡散臭さ」は一挙に解消されることに気が付きました。

ちなみにもう一度、わが社の「企業の存在意義」のうち「経営哲学」を見てみてください。

☑ 経営哲学

持続可能な経営

となっています。

わが社では、先代も、そして先々代もことあるごとに「会社の財産、個人の財産は先祖からの預かりもの。我々子孫は単なる一時的な番人に過ぎない。だから、会社を存続させ、次なる子孫につなげることが大前提。」といってきました。

つまり、「持続可能な経営」を実現するために、「企業理念」や「企業ビジョン」を定め、それに基づく戦略をとっていくという順序です。この最重要事項である「持続可能な経営」を危機にさらしてまで、「時代において主張する」というビジョンの実現はありえないということをはっきりさせています。というよりは、そうならない範囲で、いやむしろそうならないようにするために、「企業理念」や「企業ビジョン」に基づく戦略をとっていくという理解のほうが正確です。

このことを分かりやすく明記したものがあります。大芳産業株式会社の綱領です。

☑ 綱領

当社における企業の存在の最大の拠り所はその経営哲学である「持続可能な経営」に他ならない。そして、これを実現するために持つべき中核的価値観が「物事の本質を捉えることで絶対的価値を提供すること」である。この価値観は、現在の環境に左右されることなく永続的に維持されるべきもので、かつ金銭的に不自由ない状況の確保よりも重要だという認識である。ただし、それを継続的に実現するための前提条件として金銭的自由を確保する必要があることは当然のことである。すなわち、企業存在の拠り所である「持続性」を揺るがす状況に対しては躊躇なくその価値観に関わらず競争上有利な策を講じ、その前提を回復させた上で中核的価値観へ回帰するという順序を忘れてはならない。

平成二十六年三月三十日
大芳産業株式会社

以前のブログで「利益と理念どっちが大切?」で書いた「ビジョナリーカンパニー」の中にあった言葉をもう一度ここでご紹介させてください。

「企業にとっての利益は人間にとっての栄養や血液、水分のようなものである。したがって、それ自体が目的では決してない。しかし、それがあって初めて人間は活動することができ、特定の目的を達成することができる。つまり、利益OR理念の議論は的を外しており、あくまで利益AND理念の議論のみが存在するのである。」

この言葉に出会うまでは、自ら作った自社の「企業の存在意義」に対してもそこはかとなく「キレイごと」感を感じていることを否定できませんでした。

しかし、上記の言葉に出会ってすぐにこの「綱領」を作成しました。それ以降、わが社の「企業の存在意義」から「キレイごと」感が完全に消えたと思っています。

真実は意外にシンプルです。

しかし、その真実にのっとり、やり続けることは簡単ではないことを噛みしめることが経営だと思っています。

 

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