日本人と英語

英作文は究極の英語独学法

2015年5月20日 CATEGORY - 日本人と英語

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私は常々、英作文という学習法が究極の英語独学法だと思っています。

なぜなら、英語学習において、リスニングというスキル以外においてはすべてのスキルを非常に高いレベルでトレーニングできるものだからです。しかも、英作文の元ネタとしての日本語を自分で考えることで、自ら言いたいことを英語で発信するという大きなモチベーションとともに学習を進めることもできます。

にもかかわらず、日本の学校教育においては「会話」同様、教育する側からも敬遠された存在だと思います。それは、「会話」も「英作文」もいわゆる「正解」が一つではなく、非常に教えにくいものだったということ、またそれ故に、特に教育する側の能力が非常に高いところで問われるからだと思います。

以前にこのブログでも紹介しましたが、私は、そんな日本の学校教育において、この英作文の効用を十分に理解させてくれるような授業を展開してくれた中学校の時の 恩師K先生 によって、今のような考えを持つことができたと思っています。

先日、松本亨氏の「英語で考える」という著書をご紹介しましたが、その中で氏もこの「英作文」について好意的に書かれている部分がありましたので今回はそれについてご紹介します。

「私は(「英語で考える」ことを推進する上で)英語を日本語に直すことはいつも極力反対しているけれども、日本語を英語に直すことにはかなり力を入れてすすめ、かつ教えている。それは言うまでもなく、すべてのことを英語に直して頭に入れるということを重要視しているからである。英作ということは、一つの和文をいかにtranslate into Englishするかということではない。英作とは、一つの日本語で表された考えなり事実なりにぴったり相当する英語の表現で、今までに蓄積した英語の知識に基づいて再現することなのである。決して、自己流に新しい英語を作り出すことではない。」

非常に、筋の通ったもっともな意見だと思います。ただし、一点、「(英作文は)自己流に新しい英語を作り出すことではない。」ということの意味によっては私の意見とは少し違う可能性が出てくることが気になりました。

私は、自身のもつ「英文法講座」において、学習した文法項目をすべて使用した日本語を参加者が自ら作り、その文章を英語に直すというトレーニングを毎回繰り返しています。ここでは、英文法のルールにのっとっていれば、たとえそのような文章がとても機械的であるがために英語圏ではそのような会話はされないということであっても、正解としています。なぜなら、まずは英文法というルールの原則を体得することが何よりも重要だと考えるからです。

そのため、著者の「(英作文は)自己流に新しい英語を作り出すことではない。」という言葉の意味がそれをも否定するものなのか、それとも、その文法ルール自体を逸脱して「自己流の新たな英語」を作り出すことを否定するものなのかが気になりました。

しかし、より慣用的な表現が多ければ、よりコミュニケーションの充実が図れるわけですから、私としても、それは上達の過程における段階的なものだと考えています。ですから、ルールの原則が体得できた暁には、その場に「ぴったり」あうフレーズをどんどん増やしていくことが必要なのは当然のことです。

いつも言っていることですが、ルールなしのフレーズ集め学習、すなわち九官鳥のような丸暗記学習は、一見、便利に見えるかもしれませんが、早晩限界が来ることは明らかです。

文法ルールの徹底、慣用句を段階的に増やすこと、これらは決して相反するものではなく、段階的、有機的連携を図られるものであり、英作文はそれらを鍛えるうえで、必要不可欠なものであると考えています。

 

 

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