日本人と英語

人工言語の試み

2014年7月30日 CATEGORY - 日本人と英語

ザメンホフ

 

 

 

 

 

 

 

 

前々回前回と二回にわたって、日本語と英語を比較してその言語的性質について考えてきました。

そこでは、どんな言語にも一長一短あり、それらはその言語をはぐくんだ文化背景が何を優先するかによってその性格が決まるというところに落ち着きました。それならば、「世界共通語」ということを考えたときに、すべての言語の最大公約数的な中立言語をゼロから作ることが最も現実的で望ましい解決となるのではないかと考えがあってもおかしくないと思います。

それを現実しようと実際に動いた人間がいます。世界唯一の人工言語「エスペラント語」の開発者ザメンホフです。彼とエスペラント語については「ザメンホフ∼エスペラントの父」という本に詳しく書かれています。

今回は本書に沿って彼の「世界共通語をゼロから作る試み」についてみてみたいと思います。

ザメンホフは1859年当時ロシア帝国領ポーランドになっていたリトアニアの小都市に生まれました。不安定な世界の諸文明が交錯する場所で言語も主なもので四種、詳しく見れば十数種が使われ、お互いの意思が通じないという不便だけでなく、様々な価値観や世界観が衝突しあう深刻な問題を抱える場所でした。

しかし、ザメンホフだけでなく、地動説のコペルニクス、近代哲学のカント、楽聖ショパン、ラジウムのキューリー夫人もこの一帯の出身だということからもこのような場所だからこそ他に類を見ない仕事を成し遂げられたというべきかもしれません。

このような環境で育った彼は、既に子ども時代に様々な民族が平和に幸せに暮らすためには「世界共通語」が必要だと意識していました。そして、その言語はどの国民のものでもない中立なものであるべきだという考えに行きつきます。

はじめは既に死語であるギリシャ・ラテン語のような文化語のどれかを復活させて世界の共通語として機能させようと考えたようですが、これらには文法や語彙に不規則や不合理が多く、現代の生活や考えにしっくりこないことに気が付き、諦めます。

そこで、まったく新しい人工語を作り出すことを意識し始めるのです。その際、彼の外国語学習の順序が変化・例外の多いギリシャ・ラテン語から入り、その後変化・例外の圧倒的に少ない英語に向かったことが言語の「単純化」に目を向けるきっかけとなったようです。

彼は、近代言語の中を良く調べ、不要な形をどんどん捨てていくと、文法は最終的にはノート2~3ページですべて説明できるほどに単純化できることに気が付きました。ただし、問題は語彙です。彼はどんな言語でも辞書を見るたびに気の遠くなる感覚に襲われ、何度も諦めようとしたそうです。

ある時、接尾語を活用すればその問題が解決するのではないかとハッと気が付きます。例えば、日本語では「~屋」という接尾語をうまく使えば他の単語をいくらでも作り出せます。そうすれば多くの単語をいちいち覚える必要がなくなります。これによって、彼の辞書を見る度に感じられた恐怖は急に小さくなったと言います。

このときから、彼は文法も語彙もできるだけ単純化し、規則に完全に従わせることですべて解決できるという確信を得て、数学的に簡単な音の組み合わせを作りそれに一定の意味を当てはめるという作業を繰り返して行くことになります。しかし、またここで彼の作業は暗礁に乗り上げます。

順調に作業を繰り返していくのですが、このように完全に規則にのっとるだけで作られた言葉は、いくらその規則が単純であっても人間の頭に入らないのです。このことから、最終的には単語の材料としては自然言語の中からとることにしたのです。具体的には当時の先端言語であるローマン・ゲルマン(フランス・イギリス・ドイツ)系諸言語です。

これらの材料を新しい規則性に合わせるために必要な修正を加えて仕上げるという方法です。その結果、このエスペラント語の形が一通り完成したのが1878年、彼が19歳の時です。これが世界で唯一「成功」したといわれる人工言語「エスペラント語」の誕生までの道のりです。

完成当時、ザメンホフはこの言語で世界を一つにまとめるという希望で満ちていました。エスペラントとはエスペラント語で「希望する者」という意味です。もともとエスペラント語の機関紙などで彼のペンネームとして使っていたものがこの新言語を指す言葉となりました。

しかし、実際には世間は冷淡でした。時はロシア帝政時代。学校でもロシア語のみを使用する圧力は増すばかりの時代です。当初はこの新言語に賛同した彼の友人もつぎつぎと彼のもとを去り、結局彼一人となってしまいます。

ここから、彼のエスペラント語を普及するための孤独な苦しい戦いが始まります。世間の厳しい風当たりもそうですが、この新言語が理論上完成したと思っていても、実際に文章をつづってみるとうまくいかない部分が多く、修正の必要はきりなくありました。実際に彼はこう言っています。

「初めは言語には文法と自書さえあれば十分だと思っていました。ところが実際に使ってみると、言語というものには文法と単語以外にも、何かしっくりした要素で、言語に生命を与えるもの、すなわち言語の『精神』ともいうべきものが必要だと分かってきました。」

私には、この言語の「生命」「精神」の必要性の発見こそ、実はザメンホフの仕事における最重要事項のように思えます。つまり、文法や単語は言語の一面にすぎず、言語の実体は人間の社会生活そのものという事実です。もっと、具体的に言えばその言葉で書かれたありとあらゆる文献やそれを実際に使用したあらゆる場所で発生する会話もそれにあたるかもしれません。

現在、エスペラント語を普通に使用できるレベルの使用者は世界中で100~200万にのぼるとも言われています。また、日本においても固有名詞として親しまれているものも少なくありません。たとえば、東京丸の内の商業施設オアゾはエスペラント語で「オアシス」、ホンダの軽自動車ホビオは「趣味」、そしてヤクルトはヨーグルトを意味する「jahurto」に由来するようです。(前述のようにかなりローマン・ゲルマン系諸言語をもとにしていることが分かります。)

エスペラント語以外にも世界共通語を人工的に作るという試みはいくつかありましたが、現在にもその使用者が存在するという実質的な言語になったのはエスペラントだけです。その意味では「世界で唯一『成功』した人工言語」といってもよいと思います。

しかしながら、当初ザメンホフが目指した「世界共通語」には程遠いと言わざるを得ないと思います。

皮肉なことですが、彼は自らが人工言語を作るという壮大な事業を成し遂げる中で、自然語が地についた言語たる理由を見出す結果となったと言えるのかもしれません。