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日本人と英語の異常な関係

2014年12月31日 CATEGORY - ブログ, 日本人と英語

英語バカ

 

 

 

 

 

 

 先日、「目にあまる英語バカ」というかなり過激な本を書籍紹介ブログにおいてご紹介しました。

本書において著者は、「英語バカ」という概念を以下のように言っています。

「英語ができるということをただ、『かっこいい』としかとらえないところが、いかにもバカである。日本人の植民地的な英語熱の本質を示していていかにも軽薄である。ここで、英語を宝石のような、誰もが羨む『かっこいい』ことの証明であるかのような、自我の装飾物としてしか考えていないこの種の人間を、英語バカと命名する。」

ここでは、「そんなことないよ。」と私も含めて多くの人が言いそうではありますが、本書を読み進めていくと、日本人のほとんどがこの「英語バカ」であるという証拠を怒涛のごとく突き付けられてしまうのです。結果、私を含めてほとんどの日本人が「英語バカ」なのだということを納得させられてしまいました。(笑)

著者が「日本人の植民地的な英語熱の本質」と言っているように、やはりこの性質の裏には、「劣等感」が潜んでいるようです。なぜ、日本車の名前がほとんど英語(横文字)なのでしょうか?なぜ、日本製のTシャツに印刷されている文字がほとんど英語(横文字)なのでしょうか?

それは、日本語で書くとなんか、野暮ったく感じ、英語で書くとあか抜けた感じがするからではないでしょうか。

これらのことを否定しようとすればするほど、苦しくなってくる私はかなり重症の「英語バカ」なのかもしれません。しかも、この感覚は、英語ができなくて「劣等感」を抱いている人だけのものではありません。英語がものすごくできる日本人でも十分に「英語バカ」である可能性があるのです。

本書の中で、著者は政界において最も英語に堪能だと思われる女性議員三名を名指しして以下のように指摘していました。

「猪口邦子、佐藤ゆかり、片山さつきの三人が外国特派員協会でインタビューを受け、英語で受け答えしたことがあった。みっともなかった。本物の外国人を前に、いかに英語ができるかという試験に必死な植民地の女たちという構図が浮かんできたのである。そのくせ、同国人に対しては、どう、こんなにできるのよ、という優越感。」

実は私も、このシーンを偶然テレビで見ていて、その時にかなりの「違和感」を感じていました。このシーンは取り立てて大きく取り上げられたものでもなく、確か、さらっと小泉チルドレンの女性議員の紹介として流れただけなのに、私が明確に記憶していたということは、その違和感は相当なものであったということだと思います。

その違和感の原因を著者からこのように指摘されると、三人には失礼ですが、それなりの納得感はあります。

それならば、この(著者が言う)「英語バカ」的な感覚はなぜ多くの日本人に生じてしまうものなのでしょうか。

そのヒントも著者は本書の中で与えてくれていました。

「(三人の女性議員の英語を聞いた)そのあと、別の番組で緒方貞子を見た。彼女の英語は自然で見事であった。国連高等弁務官としての仕事中の場面であったが、たかが英語として完全に実用として英語を使っている。」

おそらく、この毒舌一辺倒の本書の中で唯一と言える著者が手放しでほめている対象が元国連難民高等弁務官の緒方貞子氏です。

英語の発音のよさとか、使用している語彙のレベルとかそういうものの違いではありません。英語のうまさでは佐藤ゆかり氏も緒方貞子氏もそう変わることはないと思います。

それならば、その違いは何なのか。

それは、英語を普段の生活の50%以上を使用しているかどうか、すなわち英語が生活言語となっているかどうかということではないかと思いました。

というのも、私自身の経験として、アメリカで自分が英語を使っているときには、まったく「英語バカ」的な感覚を持ちえなかったということを思い出したからです。もちろん、それは、英語が上手、下手には関係なくです。

英語を使用していることが「当たり前」の状況下で使用していれば、「優越感」も「劣等感」も全く生じ得ないと思うのです。ただ、そこには「必然性」だけがあるのです。

その場面における「必然性」こそが緒方貞子氏と佐藤ゆかり氏の英語のレベルに関係なく、感じられた差なのだと思います。

こう考えると、日本という国の中で実用語が日本語で足りている限り、「英語バカ」であふれている国であり続けるのかもしれません。今回の記事ではこの感覚を持つことの原因として日本という「実用語が日本語で足りている」という環境を取り上げました。

その意味では、これはある程度仕方がないことではあります。

しかし、この感覚が日本人にとって、ちょっと自分たちのコントロールを超えたところで大きな問題に結び付いているような気もしています。次回の記事では、そのことについて考えてみたいと思います。