日本人と英語

日本語で科学ができる幸せ

2018年6月22日 CATEGORY - 日本人と英語

前々回、前回と「その『英語』が子どもをダメにする」からテーマをいただき書いてきましたが、今回のテーマは「日本語で科学をするということ」についてです。

日本人は大学教育が日本語で行われていることを当然のことと認識をしていますが、世界的に見てもヨーロッパ言語以外で高等教育が行われているのは、日本語だけなのです。

個人的な経験でも、大学教育についてフィリピン人の友人と話をしていた際に、そのフィリピン人が「本当に日本語だけですべての医学部や工学部での教育も行われているのか?」と大変驚いていた姿が非常に印象的でした。

本書では、このようにヨーロッパ言語以外で唯一日本語が、すべての高等教育に対応できている言語となった軌跡が次のように書かれています。

「過去1500年以上にわたり、私たち日本人は最初は中国文化に始まり、蘭学、そして近代西欧文明と、それまで自分たちが持っていなかった新しい知識や概念や文化を積極的に取り入れてきた。言語が違うのだから、そこには必ず翻訳という行為が存在した。そこで、新しい言葉を創造して、概念知識や思想哲学まできちんと吸収したのだ。だからこそ、例えば今日の科学において自由に新しい成果を生み出す言語環境が整ったのだ。」

このことによって、西洋人以外では日本人だけが、自らの母語で「科学する」ことが可能となったのです。

そして、このことを証明するかのようにノーベル物理学賞を受賞した益川教授が次のような発言をされています。

「ノーベル賞をもらった後、招かれて旅した中国と韓国で発見がありました。彼らはどうやってノーベル賞がとれるかを真剣に考えていた。国力にそう違いはないはずの日本が次々にとるのはなぜかと。その答えが、日本語で最先端のところまで勉強できるからではないかというのです。」

「知識と知恵との違い」ということが頻繁に取りざたされますが、この「知恵」の部分が母語で深く考えることができることによって担保されるものだからと言えそうです。

そう考えると、最終的に日本の母語を英語に置換するのでないなら、貴重な小学生の時間を中途半端な英会話を身に付けるために使うなどということがどれほどもったいなく、危険なことかということが分かるというものです。

とかく、人間は幸せの真っただ中にいる時には、その幸せに気づかないものです。