日本人と英語

日本語は「男は黙ってサッポロ・ビール」

2015年3月25日 CATEGORY - 日本人と英語

漢字

 

 

 

 

 

 

以前に書籍紹介ブログにて「私の外国語習得法」という書籍についてご紹介しました。

その中で、著書「バカの壁」で有名な解剖学者の養老孟司氏が非常にユニークな観点から外国語学習を捉えてらっしゃったので今回はそのことについて書こうと思います。

まず、そもそも論として養老氏は、以下のように言っています。

「日本語を除けば、世界中どこでも音声言語が優先である。日本人の外国語下手というのは、それを言い換えただけである。すなわち、日本人は言語を視覚言語として捉える傾向が強いのである。『読み書きそろばん』が寺子屋の科目で、その中に『おしゃべり』などという科目はない。『男は黙ってサッポロ・ビール』である。」

このことは、なんとなく分かる気がします。特に、『男は黙ってサッポロ・ビール』である。」とは、男女を問わず、日本人のコミュニケーションの態度を良く表しているように思います。おしゃべり、特に、自分との関係が薄い人間とのおしゃべりが極端に苦手です。

そのことが良く分かるのは、ランゲッジ・ヴィレッジにおけるレッスンの中で「conversation」が最も不人気だという事実からです。

ランゲッジ・ヴィレッジにおいて、唯一、そのレッスンに特定のコミュニケーション要素に対する向上を意識せず、会話の総合力を引き出すために行うレッスンが「conversation」です。

そして、このレッスンだけは、レッスンの主導権を講師ではなく、受講生に持たせようとします。つまり、会話のテーマを受講生任せにするのです。

このことが、不人気の理由です。実際に合宿後のアンケートの中でいただく指摘の中も最も多いのが、「会話のレッスンで、テーマはあらかじめ講師のほうで用意してほしかった」というものです。

このご意見をいただくたびに、養老氏の指摘するこの日本人の『男は黙ってサッポロ・ビール』的姿勢について恨めしく思うのです。まさに、このこと自体が外国語下手、いや外国語に限らず母国語においてもコミュニケーション下手の元凶だと思うからです。

ですから、あらかじめ不人気だと分かっているのですが、「conversation」というレッスン項目をなくさないことにしています。もちろん、この問題についてHPなどで注意喚起(こちらの3 をご覧ください。)をしつつ、全体のレッスンに対する割合は低く抑えてはいますが、レッスン自体はなくさず、しかもこのスタイルを崩さないのはそのためです。会話のテーマを提供したり、会話をスムーズに主導権をもって運営することも、コミュニケーション能力の一部、というか非常に重要な割合を占めているのだということに気付いてもらいたいためです。

ですから、上記のようなご意見をいただくたびに、その目的が達成されていないと反省し、できる限りHPなどでの説明を理解していただきやすいような表現に変えたりしています。もちろん、このブログ記事もその活動の一つです。

あともう一点、養老氏が指摘するポイントで目に留まったところがありました。

「日本人の外国語下手は定評がある。何年も勉強するくせに、しゃべれない、聞けない、という。当たり前である。万事が漢文式だからである。」というものです。

ちょっと分かりにくいですが、この中の「万事が漢文式」の意味を以下のように説明しています。

「(日本語では)漢字には音と訓がある。そんな言語は他にはない。中国語には音しかない。朝鮮語も日本語と同じく漢字を取り入れはしたが、音しかないそうである。『訓』とは何とも奇妙なものである。英語を見ながらフランス語を読んでしまうがごとく。おかげで何が起こったか。我々日本人の脳は、漢字を読む部分とカナを読む部分が違ってしまったのである。これの何が問題か。一語一音でないと、情報処理にはきわめて手数がかかるはずである。したがって、一語一音処理の脳の部分と、一語多音処理の脳の部分は場所が違うらしいのである。なぜわかるか。日本人の失読症では、カナが読めない患者と、漢字が読めない患者、この二種類ができてしまうのである。日本人の失読症のほうが、外国人と比べて失読症の種類が一つ多いのである。何が言いたいのか。簡単に教育がどうとか言わないでもらいたいのである。すべての外国語の学習の母体になっているのは、母国語である。その母国語がどれほどおかしな生理的特質をもっているか。それすら気づかないで教育がどうとか言っても、それは地面を見ないで星を見ているのと同じである。」

養老氏は脳科学の立場から、日本人の外国語下手について指摘しているのです。このように、日本人の外国語が苦手な理由を日本人の「脳」そのものに求める識者というのは本当に珍しいと思います。

もちろん、ランゲッジ・ヴィレッジの考え方はこの養老氏のものとは相いれません。なぜなら、このことを認めてしまったら、日本人の「外国語学習」という行動に対する意欲がなくなってしまうからです。

実際に、現在の日本の英語教育に追加して、「使う」環境を与えれば、確実に英語が使えるようになるということは間違いないわけですから、あえてこのような考えで、日本人が英語から遠ざかるようなことを助長する必要はないと思います。

ただ、一つの視点としては非常にユニークで興味深いものであることは確かだと思いました。

 

 

 

 

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