日本人と英語

東京都と大阪府の「英語村」の意味合い

2014年12月24日 CATEGORY - 日本人と英語

英語村

 

 

 

 

 

 

 

皆さん、こんにちは。

2014年12月22日の日経新聞の朝刊を読んで、目を疑いました。「東京都が『英語村』」の文字が社会面の目立つところにあるではないですか!そして、その件を調べていますと、すでに2014年8月8日の東京新聞の夕刊に「大阪府有地である大阪万博公園に『英語村』。韓国の英語村に運営委託」という記事がでていたようです。

ランゲッジ・ヴィレッジを始めたのが2004年の8月ですから、開業して10年以上がたつわけですが、いままで「常時稼働型の合宿制語学学校」としては直接的な競合は出てきませんでした。

外から見ると人もうらやむブルーオーシャン市場を謳歌してきたというように思われるかもしれませんが、実際にはそうそう楽な仕事ではありません。

まず、一つのユニットを作るのに初期投資が非常にかかります。

ですので、中小企業がなかなか参入できないと言えるかもしれません。ランゲッジ・ヴィレッジに関していえば、うちはもちろん中小企業ですが、小さく始めて(最初は私の卒業した高校の寮を借りて実験的に始めました。当時の様子はこちらの記事をご覧ください。)ビジネスの基礎を作り上げた後、大企業の利用しなくなった研修施設を丸ごと買収することによってその問題を克服しました。たまたま、弊社の近くにそのような格安物件が存在していたという偶然も寄与したのだと思っています。

そしてもう一つ、労務管理の難しさです。

人間、しかも外国人講師という異文化を前提とした人材を一定期間ある程度のプライバシーを犠牲にさせて、コミットさせなければならなりません。つまり、圧倒的にキメの細かい労務管理が必要となるため、大量にサービスを提供することが難しく、スケールメリットを働かせにくいのです。そのため、大手企業が参入することを阻む目に見えない障壁があるのだと思っています。

このように、自己分析してみるとこの事業は、中小企業でも、大企業でも難しいというビジネスのエアポケットのような存在だと言えるような気がします。ですから、単純な利潤追求のみを目的としていては到底成り立たないものですし、また日本人にとっての英語の「本質」を的確に理解した事業体が行わなければ継続はかなわないものだと思っています。

そんな中で、おそらく初めての「同業者」が地方公共団体である東京都(大阪の場合は府有地に韓国の英語村運営会社と三井不動産の協力して新会社設立)になるかもしれないというニュースに直面して、正直、衝撃を受けなかったと言えばうそになります。

しかし、その衝撃は「脅威」とは少し違います。

私たちがこの唐突な「同業者」の出現を「脅威」として感じないのには理由があります。

それは、私たちは10年にわたるランゲッジ・ヴィレッジの運営においてこの事業の「本質」を確信しているからです。この事業の本質とは「英語を使う機会の提供」ということです。決して、英語に必要な「知識のインプット」ではありません。

この「知識のインプット」という仕事は学校教育において時間をかけて行っていくべきものだと思っています。

ランゲッジ・ヴィレッジでは、多くのお客様から「10年やってもできなかった英会話がランゲッジ・ヴィレッジの国内留学のたった1~2週間でできてしまった」という声をいただきますが、これは決して、学校教育の10年が「無駄」であって、すべてはランゲッジ・ヴィレッジの国内留学から得られたものではありません。

学校教育における地道な「知識のインプット」は、その時に絶対にやっておかなければならない一見「無駄」に見えるけれども本当に大切なことなのです。このことは、実は学校教育を提供する側が十分に認識する必要があります。昨今では、学校教育において、「会話」「発音」などが幅を利かせるかわりに、「文法」「語彙」といったものは、日本人から英語を遠ざける「悪」のように言われることが多くなってきました。その結果、「文法」「語彙」の軽視が多くの学校で見られるようになっています。

私たちランゲッジ・ヴィレッジやこの東京都や大阪府の計画が実行に移されたらできるであろう施設もその役割は「英語を使う機会の提供」です。そこでできることは、学校教育によって築きあげられるはずの「文法」「語彙」などの英語の基礎を前提としたうえで、それらを「活性化」させることで「英会話ができる」ようになるという効果が顕在化するだけのことです。

にもかかわらず、この基礎作りが学校教育でないがしろにされてしまったら、その上にいくら「英語を使う機会の提供」をしても効果を生じさせることはできないのです。

ゼロにいくらかけてもゼロなのです。

この「本質」についてきちんと考えたうえで、彼らがこの計画を進めるのであれば、私たちはこの「同業者」の出現を心より歓迎します。しかし、今までの公教育の動きを見ると、この計画も「文法」「語彙」の軽視の延長線上になされるものであるように思えてなりません。

是非、彼らにはそのことを十分に考えて決断実行をしていただきたいと思います。