日本人と英語

母語はOSそれ以外の言語は所詮アプリ

2016年5月8日 CATEGORY - 日本人と英語

 4月29日、マイクロソフトはアンドロイド向けのアプリを自社OS搭載の端末でも利用可能にする。写真はマイクロソフトのロゴマーク。ゼニツァで2013年9月撮影(2015年 ロイター/Dado Ruvic)

前回に続いて、「科学的トレーニングで英語力は伸ばせる!」の中からトピックをいただきます。

本書の中で著者は、小学校英語について「週一回、年間35時間の英語教育なんて、それ自体はよくも悪くも日本語への影響はゼロ」と言っています。

私もその通りだと思います。そして、このように実際に数字で表されると多くの方がより一層その通りだと思われるでしょう。

ならば、そんなに「小学校英語教育」に対して目くじら立てることはないだろうと思われるかもしれませんが、たとえ年間35時間だったとしても、その時間が本来使用されるべきところに使われずに、「よくも悪くも影響はゼロ」なことに使われることは許せないのです。

それでは、その35時間が本来使用されるべき対象とは何でしょうか。

それは明らかに、「母国語」であり、それを基礎とした「論理性」です。このことを、どうしても日本の皆さん、特に小学生の子供を持つ親御さんに理解していただきたいと強く思い、できるだけ分かりやすい方法を常に模索しています。

そんな中、これは使える!と思ったフレーズを最近思いつきました。それは、タイトルの通り、

「母語はOS、それ以外の言語は所詮アプリ」です。

パソコンで考えてみればよく分かると思いますが、パソコン自体を動かすために必要なOS、例えばウィンドウズを通常のアプリと同列に考えることができるかどうかということです。

アプリは、必ずOSをインストールしてから購入するものです。どんなことがあっても、OSと通常アプリのどちらを先にインストールしようかなどと悩むことなどありえません。

母語は何度も言っておりますが、人間の思考の基礎です。ですから、パソコンでいえばOSにあたります。そして、英語などの外国語のスキルはあくまでもその思考の基礎の上に載せる「道具」にすぎません。ですから、パソコンでいえば通常アプリです。

どんなにいいアプリでも、OSがきちんと入ってなければまともに動くことはありません。逆に、いいOSが入っているパソコンでは、あとからいくらでもアプリをインストールして、サクサク動かすことができます。

小学校での教育はまさに、パソコンでいうところのOSの獲得段階です。この時間は本当に貴重なものなので、アプリのようなあとでどうとでもなるようなもののために、その本来の時間を奪われるとしたら、、「よくも悪くも影響はゼロ」とはいえず、むしろマイナスと言えると思います。

これからも、このようなできるだけ分かりやすい例を見つけて、特に小学生の子供を持つ親御さんに理解してもらえるように頑張っていきます。まずは、うちの女房からですが。(笑)