日本人と英語

洋画タイトルの不思議

2016年3月25日 CATEGORY - 日本人と英語

the valley of Elah                    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前に、書籍紹介ブログにて「聖書をわかれば英語はもっとわかる」という本をご紹介しました。

その中で、言語の理解には、言語の知識だけではなく、その言語の背景にある文化的な「文脈」の理解が必要だという話をしました。

今回の記事では、そのことに関連して、映画の原題と邦題のギャップについて考えてみようと思います。 というのも、洋画の原題と邦題を比べて、「なんで原題はこんな味気のないタイトルなんだろう?」と私を含め多くの人が思っているのはないかと思うからです。

例えば、本書において取り上げられていた邦題「告発のとき」は、原題が「In the Valley of Elah エラの谷で」となっています。 この映画のあらすじを簡単に説明しますと、

「イラクから帰還した息子が隊を脱走したとの知らせを受け、退役軍人のハンクは現地へ向かい、地元警察の女性刑事サンダースと捜索を開始するが、そこには恐ろしい真実が隠されており、彼らが巨大な敵(米軍と戦争)に立ち向かう。」というものです。

私たち日本人にとっては、「だから、なんでエラの谷でなの?」としか思えません。

しかし、聖書の知識をベースとした英語圏での「文脈」はこうです。

「イスラエルの羊飼いの少年ダビデがペリシテ人の巨人戦士ゴリアテを石弓で倒した場所がthe valley of Elahである。つまり、このthe valley of Elahは、小さい者・無力な人が大きな者・巨大な組織に立ち向かってその大きな障害を克服するというストーリーの象徴そのもの」

だから、彼らは皆、「In the Valley of Elah エラの谷で」と聞いただけで、巨大な邪悪に立ち向かうちっぽけなヒーローの姿を瞬時に連想するのです。しかも、女性刑事サンダースの息子の名前はデイビッド(ダビデ)でもあり、そのことにも皆ピンと来るはずなのです。

これくらい、言語理解は「文脈」に依存しているのです。

このように考えると、この原題の「In the Valley of Elah エラの谷で」に対して、「だから、なんでエラの谷で なの?」としか思えなかったものが、もうこれ以上ない絶妙なタイトルのように思えてきます。

そうなると、私たちはいくら字幕スーパーで見たとしても、この映画の半分も楽しめてないと思いませんか?それを英語だけでとなったら、もはや、かなりの英語の使い手だとしても、多くは期待できないはずです。

日本人が英語を学ぶというのは、本来的に非常に難しいことなのだと改めて認識させられたような気がします。

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