日本人と英語

「英語で英語を教える」の実態

2018年2月14日 CATEGORY - 日本人と英語

前回に引き続き、先日ご紹介した書籍「最強の英語学習法」から、トピックをピックアップしてみたいと思いますが、今回のトピックは、現行の高校での英語教育の「ルール」である「英語で英語を教える」仕組みの実態についてです。

現在、日本の高等学校では13年度からの日本の高校学習指導要領改訂案で「英語の授業は英語で行うことを基本に」という方針が示されています。

日本語禁止を絶対ルールとするランゲッジ・ヴィレッジもそうですが、すべての授業を英語で教えることを基本としている国際教養大学の創立メンバーである著者も、一般の人からするとこの方針には賛成こそすれ、反対するはずもないと思われているようです。

ですが、私も著者も完全に反対の立場をとっています。そして、その反対理由についても完全に一致しています。

その理由は二つあります。

まず一つは、そもそも「英語の授業は英語で行う」ことができる高校英語教師の数が十分ではないことです。本書にはそのあたりの状況を以下のように説明しています。

「英語教師の授業での英語使用状況は次のとおりです。教師が教室での発話を『おおむね英語で行っている』のは45%だった。ただし、おおむねと言ってもそれはかなり主観的なものであり、現場教師に聞くと、『熱心な先生のクラスでは英語中心でやっているが、他の先生のクラスではそうでもない』『研究指定校では義務的にやっているが、生徒がどこまでわかっているか疑問』『教育委員会や他校から視察、見学に来た時だけ意識してやっている』などの声が出ている。」

このように腰が引けた姿勢では仮にこの方針が正しかったとしても成果を得ることは難しいと思われます。

そして、もう一つの理由はそもそも「英語の授業は英語で行う」ことは理論上も実際上も正しいとは決して言えないということです。

「英語で英語を教える」と聞いて真っ先に頭に浮かぶのは、「イマ―ジョン教育」だと思います。

このイマ―ジョン教育は、もともとは1960年代にカナダではじまったと言われ、「24時間外国語漬け」できる環境を作って学習させるというものです。

まさにランゲッジ・ヴィレッジや国際教養大学が採用している仕組みです。

ですから、このイマ―ジョン教育のメリットを私も著者も最大限に教育に活かしているということになるのですが、学校教育にそれをそのまま当てはめることについては決して認められないという立場であることを強調したいと思います。

その点について著者は以下のように述べられています。

「私自身はまず小学校で英語を教科として学ばせる必要はないと考えている。週に一回、短時間、ままごと遊びのように教室で教える意味などない。中学高校レベルでは英語で教えるどころか、まず英語を教えることが最優先されるべきだと考えている。自分たちが日常使っている日本語とは異なる語彙、発音、文法表現の言語がある、ということをしっかりと日本語で理解させることが重要で、まさに世界中に様々な異文化があり、そのうち今や世界共通語となっている英語が分かることの意義を学ばせることに意味があるということを理解させるべきだと考えるからだ。」

つまり、著者は高校までの教育過程では、どっぷり英語漬けにしてしまう時間も環境も得られるわけもなく、せいぜい週に何時間かを確保することがせいぜいだとすれば、その限られた時間を英語だけでやっても、何の効果もなく、ただ無駄に時間を浪費することになってしまう危険があると言っているのだと思います。

ならば、その限られた時間を最大限有効的に使用するためにどうしたらよいかということを考えるべきです。

それは、しっかりと日本語で教え、英語の基礎を身に付けさせることとともに、世界共通語としての英語を学ぶ意義を理解させ、必要となった時にその基礎を活用してイマ―ジョン教育にも耐えられる素養を身に付けさせることです。

日本国内で英語を自由に駆使しながら学問を修めることを実現した国際教養大学の創立メンバーである著者が、このことこそが、高校までの教育に求められることだとはっきり仰っているということを日本人は重く受け止める必要があります。

 

 

 

 

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