日本人と英語

なぜ日本は英語一辺倒になってしまったのか

2018年6月8日 CATEGORY - 日本人と英語

前回から「英語だけの外国語教育は失敗する」よりいくつかテーマをいただいて書いていますが、今回取り上げますのは、江利川春雄先生が取り上げられた「どうして日本は英語一辺倒主義になってしまったのか」についてです。

そのきっかけの一つとして江利川先生はズバリ「お金」をあげられました。

「明治の指導者たちは文明開化をめざし西洋の学術を積極的に取り入れていきました。そのために不可欠だったのが西洋語であり、その代表格が世界最強だった大英帝国の英語でした。しかし、当初は英語だけを学んだわけではありません。1872年に制定された中学教則を見ると、文法、作文、地学、史学などの各教科がいずれも英語・フランス語・ドイツ語で並行して教えられていました。ところが、1873年に文部省は東大の前身である開成学校に対して、専門学科の授業を英語で行うように通達を出します。これが英語一辺倒主義を促す最初の公的文書となり、日本の外国語教育は『英学本位制』へと移行し始めます。移行の理由の一つは経費の節減です。英・仏・独の三か国語の教員や教材をそろえるのは財政的に厳しいという理由です。」

そしてもう一つは太平洋戦争敗戦です。

「アメリカはソ連社会主義陣営に対抗する冷戦戦略の一環として日本国民の親米化を図ろうとしました。英語教育の振興政策もその一環です。1944年3月には日本のすべての学校において英語教育を制度化し、授業時間数を増加させる提案を行っていました。実際に1947年に発足した新制中学校に外国語が加わったのもアメリカ軍側が文部省に圧力をかけたことが一因でした。しかし、教科としての外国語は原則の上では英語に限られてはいませんでした。この大原則を崩してしまったのが、1998年の中学校学習指導要領でした。これによって選択科目だったが英語を必修科目にしてしまったのです。これらの日本の異常なまでの英語一辺倒は、①英米への畏怖と劣等感②教育予算の低さ③米国の対日文化戦略と日本の迎合④米国主導のグローバリズムへの順応によってもたらされています。」

このように、日本の英語一辺倒主義というのはきっかけからして「仕方のない」ものだったといえるとは思います。

しかしながら、前回の記事でご紹介したように、「複言語主義」のメリットというのは非常に大きなものがあり、英語一辺倒のデメリットは決して小さくありません。

国家のその時々の懐事情やご都合によって、そのメリットが失われることは、複言語主義の効用を体感的に理解している私としては非常に問題だと思っています。

そのため、私はランゲッジ・ヴィレッジを立ち上げる時には英語のみを対象としていましたが、その名称を「イングリッシュ・ヴィレッジ」とはしたくありませんでした。

その名前によって、いずれかは複数の言語を教える施設にするぞという意思を表したつもりでした。

そして実際に開校から4年後には「中国語超特急」を立ち上げ、今現在も二か国語体制を維持しています。

英語と中国語の圧倒的な需要の差を考えれば、小さな会社が二つの講座を維持し続けるということに経済的な合理性はないかもしれません。

しかし、どんなにその差が大きくてもランゲッジ・ヴィレッジはこの中国語講座をできる限り続けるつもりです。

いや続けなければならないと思っています。

それは、ランゲッジ・ヴィレッジが前回の記事でふれた「複言語主義」の重要性を心から理解しているからです。

その援護射撃とも思える指摘を江利川先生が本章の最後にされていましたのでその部分を引用して終わります。

「日本人の多くはアメリカ側の情報だけでイスラム社会を見ていないでしょうか。アフリカのことをリアルに知らないまま自衛隊を南スーダンに派遣していないでしょうか?」