日本人と英語

言葉と学力の関係

2016年2月28日 CATEGORY - 日本人と英語

言語と数字              

 

 

 

 

 

 

前回に引き続き、「日本人にとって英語とは何か」から、「言語」の固有の特質について、タイトルの通り「学力」との関係について書きたいと思います。

日本人が外国語を勉強する上で、非常に厄介な項目として「数字」があります。

ランゲッジ・ヴィレッジでは、この項目のためだけの特別レッスンも設置しているくらいです。つまり、これが意味するところは、日本語と英語、もっと言えばアジア圏の言語とヨーロッパの言語で、そのシステム、概念が大きく違っているということです。

この違いが大きく学力、特に数学学力の成果に大きな影響を与えている原因であって、その影響は、学級が少人数制か多人数制かということよりも圧倒的に大きな要素となっているというのが本書の主張です。

数は一般的に言語を超越した普遍的な概念とされていますが、実はそうとも言い切れず、数といえども「言語」の支配を免れないと著者は言います。

実は、世界で最も簡明な数詞と最も完全な10進法の数詞組織を持つ言語は、中国語とそれを取り入れた日本語などいくつかの漢字文化圏の言語です。

これが、日本人や他の漢字文化圏、すなわちアジアの言語圏において、数観念の率直な発展と、数の容易な取り扱いを可能にしていると言います。

これに比べて、ヨーロッパの言語の数詞の体系は、単純性と合理性においてはるかに不完全で不便です。

私は、フランス語を学んだ経験がありますが、一つの言語の中に10進法、12進法、20進法が混在しているという有様です。 例えば、91をフランス語は、4×20+11(quatre vingt onze)という方法でしか表現ができないのです。

そうなると、例えば91-15というような計算問題は、彼らにとってはあまりにも複雑な思考を経なければ解答することができないということにもなるのです。

このように考えると、前回の記事で指摘した著者の主張のように、学力の成果論を学級の人数で云々するという「少人数制学級絶対論」も「少人数制学級無効果論」のどちらも、その一面でしか考察していない短絡的なものであると言わざるを得ないと思います。

現在、英語がグローバル言語として世界中でもてはやされていますが、本書によって、改めてその合理性に気づかされることによってマイナー言語である日本語も、決して捨てたものではないのだと思わず叫びたくなりました。  

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