日本人と英語

「やかん」の恐怖

2017年4月18日 CATEGORY - 日本人と英語

突然ですが、皆さんは「やかん」と聞いてどのような気持ちになりますか?

私は、子供の頃からずっとこの言葉を聞くと不安、もっと言えば恐怖を感じてきました。

と言っても、やかんでやけどをしたからということではなくて、言語的に不安を覚えるという意味です。

どういう意味かを以下に説明したいと思います。

日本語には基本的に表意文字である漢字が割り当てられています。例えば、「水筒」は、水という意味のある漢字と筒という「竹のように細長い円柱の入れ物」という意味のある漢字の組み合わせでできています。

また、日本人の漢字の習得の仕方としては、水や竹といった単純な形態を表す漢字を先に習い、学年が上がるにしたがってそれらを組み合わせて作られる複雑な意味を表す漢字を習い、またそれぞれの漢字組み合わせることでより複雑な意味を表す熟語を習っていきます。

しかも、それぞれの漢字には基本的な音も割り当てられているので、意味と音が有機的につながっているので、漢字を覚えるという作業は意味と音の組み合わせという記憶のとっかかりが豊かなものを記憶するということになります。

だから、私たちは安心して「水筒」という日本語を使うことができるのだと思います。

しかしです。

「やかん」には、漢字がなく、ひらがなという単なる表音文字を三つ「や」と「か」と「ん」を並べてあるだけ、しかもアクセントも全くない「や・か・ん」という単調なものです。

すなわち、「や・か・ん」という単調な音だけが冒頭写真の物体を表現するという言語的な「お約束」だけで成り立っているわけで、その意味のない音の組み合わせの記憶に少しでも失敗したら、私は「やかん」を他人に対して即座に伝える術を失ってしまうリスクに常に「恐怖」を感じていたということです。

この恐怖について、おそらく他の人には理解していただけないと思って、ずっと心の中にしまい一人で戦ってきましたが、先日、文法講座の川崎講師にこの恐怖について初めて告白しました。

すると、彼は次の言葉で私のこの恐怖を一瞬にして解消してしまったのです。

「何言ってるの、やかんは『薬罐(缶)』が短くなってできた言葉だよ。」

こんな長い間恐怖を感じていたのに、なぜ今まで一度も「やかん」をウィキらなかったのか、自分を責めました。

でも、これでぐっすり夜寝ることができるようになります。(笑)

私のケースは極端だとしても、この「恐怖」は日本人が共有しておくべき問題と少なからず関係があると思います。

その問題とは、昨今多用されるカタカナ外来語に関するものです。

「コンプライアンス」「デュ―ディリジェンス」などの法律・ビジネス用語、「プリザーブドフラワー」「アイシングクッキー」などの新しい商品、そして「ウィザード」など特にコンピューター関係の言葉についてはほぼすべてカタカナで、これらが出てくる会話はもはや日本語でのコミュニケーションとは言えないような状況になってしまいます。

おそらく、これらを考えると私の「やかん」の恐怖にも一定の理解をしていただけるのではないでしょうか。

では、表音文字であるアルファベットで表記せざるを得ない英語を母国語にする人たちはみな、「やかん」の恐怖を感じているのかという疑問が出てきます。

英語やフランス語のような西洋語では、西洋の文化の根源を支える「ラテン語」や「ギリシャ語」由来の「語幹」や「接頭語」、「接尾語」などが、日本語で言う漢字の役割を果たしていると考えられますが、やはり表意文字の威力にはかなわないのではないかと密かに優越感に浸ることがあります。

それほど日本人にとって漢字というものは、ありがたいものだと思います。

それなのに、昨今のカタカナ外来語の氾濫ぶりを考えると日本人は率先して、「安心感」を捨て、「恐怖」の方へ進んでいっているように思えて仕方ありません。

明治の先達ががんばって、「idea」を「観念」に当てはめたように、「プリザーブドフラワー」を「長期保存花」といった風にしてほしいと思います。

えっ?なんかかっこ悪い?

それは、私にセンスがないだけです。

 

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