日本人と英語

国際教養大学

2018年2月11日 CATEGORY - 日本人と英語

先日書籍紹介ブログにおいてご紹介した「最強の英語学習法」から、いくつかのトピックをピックアップしたいと思いますが、初回の今回は、著者が教授をつとめられた国際教養大学について詳しく書いていきます。

まずは、この大学、2003年設立のまだ若い大学なのですが、偏差値は受験科目数が異なるので一概には言えませんが、数値だけだと旧帝大と同じレベルとされていますし、何よりも日本の名だたる大企業の内定率が非常に高いことでも知られています。

なぜ、地方の新設公立大学が、短期間のうちにここまでの実績をあげられたのか、本書にはその秘訣が余すところなく書かれています。

その秘訣の一つは、初年度に行われるEAP(English for Academic )という、英文を大量に読み、かつ論理的に書く能力を身に付けるための基礎を身に付けるためのプログラムです。

実際にこの大学の学生の以下のような生活状況を聞き、それが理想だけで終わっていないことが分かりました。

「EAP受講生は月曜日から金曜日まで毎日5時間くらい授業があり、その宿題と課題レポートやプレゼン資料の作成などで毎日5~7時間は自習しなければ授業についていけない。土日も予習復習に追われる学生は少なくない。しかも、1クラス4~5人のグループで議論し、発言には常になぜそうなるのかの根拠を示すことが求められる。実際に学生から『こんなに勉強するのは生れてはじめて』『大学生になってようやく自分で勉強する面白さが分かった』という声が上がる。」

これはまさに、アメリカの大学もしくは日本におけるダブルスクールを専門学校の学費なしで行っているものと同様、いやそれ以上の贅沢な環境かもしれません。

当然、学生はアルバイトなどやっている暇はないでしょうし、大学生の本分を全うできる環境が整っていると思いました。

このような環境により、国際教養大学を卒業すれば「英語ができる」ようになるという評価が一般的になされますが、この大学のめざすところは、そのレベルにとどまるのではなく、あくまでも「グローバル人材」の育成にあると言います。

そもそも英語をしゃべるだけなら英語圏に住む人なら幼稚園児でもできるわけで、英語を話せるのが「「グローバル人材」というのなら英米人は幼稚園児から全員グローバル人材ということになってしまいます。

英語はあくまで手段であり、英語で話ができることによって経緯を払って意思疎通を深め、お互いが抱える課題について協力し合いながら解決策を考え実践していくものだというのがこの大学の基本的な考え方です。

その意味では、英語はあくまでも手段に過ぎないものではありますが、しかし、あまりにも強力な手段であることもまた同時に事実だと言います。

つまり、学ぶために英語を使わざるを得ない環境によって、否応なく「異文化摩擦」「異文化衝突」を体験すること、それが常に起こっている場所が国際教養大学だということになります。

ここが秋田の郊外のキャンパス、そして寮という隔絶された場所だからこそ実現できることです。しかも入寮が義務化されている初年度だけでなく、義務化されていない学年になったとしても多くの学生が好んで寮に住み続けるというのも、彼らがこの環境の意味を理解している証拠だと思います。

これは、「なぜ合宿なのかを考える」という記事で取り上げた「加速度効果」のメリットを理解して、学生自らが主体的にそれを取りに行っていることが分かる証拠に他ならないわけで、非常に素晴らしいことだと思います。

もちろん、これがすべての日本の大学の目指すところとなることについては、賛成できませんが、個別の大学の個性としては大いに意味のあることだと思います。

以前にご紹介した「立命館アジア太平洋大学」も併せて、日本の大学の新しい形の一つとして、頼もしく感じました。

 

 

 

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