日本人と英語

日本のとるべき道

2015年11月25日 CATEGORY - 日本人と英語

日本のとるべき道    

 

 

 

 

 

 

          前回に引き続き「英語化は愚民化」が提示するトピックについてこのブログで取り上げていきたいと思います。第四回目の今回は、「では日本はグローバル化にどのように対処するべきか」に対しての考察について書こうと思います。

前回の記事の最後に、「日本人がその日本語を捨てて、英語を思考のベースとするなどというようなことは、日本人の創造性や自己同一性にとてつもなく大きな影響を与えることになることは明らかですし、決してやってはいけないことだということだということが良く分かります。」と書きました。それでは、日本はこのグローバル化の世界をどうやって乗り切っていったらよいのかということです。 そのヒントとなる言葉が本書にありました。

「もちろん、(「英語化は愚民化」という主張は)孤立主義的なものではまったくない。それぞれ外国との交流は重視する。外国と交流し、良いところは積極的に学んで取り入れれば、自国文化の多様性は増し、活性化もされるからである。だが、その際に重要なのは、それぞれ自国に合うように『翻訳』と『土着化』を繰り返すことである。そうしなければ、外来のちの恩恵を受けられるのは、ごく一握りの特権層だけになってしまう。格差社会化も進展し、人々の連帯意識は薄くなり、社会の安定性も失われる。そうならないように、自国の一般的人々が等しくその恩恵にあずかれるように留意し、常に『翻訳』と『土着化』を怠らない。これによって、社会の独自性や安定性と、多様性や平等性のバランスをとっていく。そしてそれぞれ、自国の一般庶民が能力を磨き、発揮し、社会参加しやすい国づくりを行っていくような世界である。」

このことは、日本の今までの強みの源泉である平均的に高い知的レベルの重要性を示唆していると思います。 私もまさに書籍紹介ブログの「英語化は愚民化 #124」の記事に以下のように書きました。

「現在の日本の強みは、多くの国民が英語を話すことはできないけれども、日本語という国語を駆使することで、平均的に高い知的レベルを維持し、それに応じた生産性をあげることができることだと思います。それが、日本語が国語から現地語(学術的な語彙を有しない生活言語)になり下がるようなことになれば、日本国民が少数の英語を駆使できる知的レベルの高い層と、圧倒的に多くの生産性の低い業務にしか従事できない層とに分かれてしまい、その強みの前提が崩れてしまうということです。」

そして、今後より一層勢いを増すであろうグローバル化の波の中でも、このような従来の日本の強みを維持し、強化していくための具体的な対応策として私は「日本語を捨てたがる日本人」の記事の中で紹介した以下の方法しかないだろうと思っています。 日本人の英語レベルを「ツールとして使用できるレベルに到達させること」です。ネイティブの英語をお手本にして目指すのではなく、あくまでも「ツールとして使用できるレベル」であれば、できないことはないのです。 逆に、たったそれだけのレベルでもいつまでたっても実現できないから、日本語を捨ててまでも、英語をどこまでも追いかけなければならないという強迫観念に駆られてしまうのだと私は指摘しました。

いずれにしても、日本のとるべき道は、決して「日本を捨てる」ことではないことだけは明らかであると主張したいと思います。  

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