日本人と英語

日本人が英語を訳さないで読むことは可能か?

2016年5月11日 CATEGORY - 日本人と英語

訳さずに読む

 

 

 

 

 

 

 

前々回と前回に続いて、「科学的トレーニングで英語力は伸ばせる!」の中からトピックをいただきます。

本書の中で著者は、「英語を英語のまま、日本語に訳さないで直読・直解のような形の処理はどの程度可能なのか」という問いを立てています。

この問いについては、私自身もずっと同じ疑問を持ってきました。これは、母語という強烈に自分の思考を支配しているOSが存在してしまっているので、自分自身の理解を客観的に認知することが難しいことからくる疑問だと思います。

著者は、まずアメリカの言語学者クラッシェンのように「習得」と「学習」を分けて、「習得」することができるのは母語のみで第二言語については「学習」して身に付けることができるのみだとして、母語のみが文字を追いながらそのまま理解ができるとする考えと、第二言語であっても母語のレベルまで到達しうるとする考え(こちらが今では主流となっている)があると紹介しつつ、自らの考えとしてはどこまで第二言語の学習が進んだとしても、やはり母語をベースにして考えるということから抜け出すことができないと考えているようです。

そのことを、以下のように分かりやすく説明してくれています。

「これは、例えば、速く読んでいるとしても、例えば”I think that・・・・”というフレーズをパッと見たときに、学習が進んでない段階では、「僕は、思う、こと・・・・」と訳して考えていたことが、「あ、この人の考えがこれから述べられるんだな」と一瞬で翻訳し、判断しているだけなのではないかと思うのです。というのも、もし英語だけで処理できているとすれば、母語と同じスピードになるはずなのに、比較してみるとやはり母語に比べて英語の処理は時間がかかっています。」(一部加筆修正)

このことについては、もう少し詳しく以下のようにも述べられています。

「自転車に乗る時、バランスをとるための方法を考えなくても倒れないのは、その一連の動作が完全に自動化されて小脳に入ってしまっているからです。英語の上級者になればなるほど、この小脳における自動化の部分が多くなるということだと思います。これは、先ほどの”I think that・・・・”というような瞬時に処理できるセットフレーズが増えてくるというようなことではないかと思います。つまり、その処理自体が小脳に入ってくるからスピードが上がってくるだけで、日本語への翻訳を完全に排除しているわけではないと僕は思います。このことは、例えば認知症的な症状が出始めたとき、もしすべてが完全に自動化されるのであれば、日本語と英語にそう差は出ないはずですが、実際は母語より先に英語を使うことが難しくなってくるということからも推測できます。」(一部加筆修正)

私の認識も、どちらかといえばこの著者の認識に近いと思います。ただ、こればかりは、私も著者も「母語と同じスピードになる」ところまで小脳における自動化が達していない発展途上の段階で判断しているからだと言われてしまえばそれまでですが、、、

ですので、第二言語であっても母語のレベルまで到達しうるとする考えが今では主流となっているというのも理屈としては分からないわけでもないかなとは思っています。