日本人と英語

日本人に英語はどこまで必要か

2015年9月2日 CATEGORY - 日本人と英語

コロンブス

 

 

 

 

 

 

先日紹介した鈴木孝夫氏の「英語はいらない」という書籍の中で覇権国家の怖さ、ひいては英語の怖さを感じずにはいられない記述があったのでご紹介したいと思います。

「公用語が憲法に明記されていない国は多いです。その理由は、例えばアメリカに移住したかつてのイギリス人、アメリカへ乗り込んでいったヨーロッパの人間にとっては、現実としてはたくさんのアメリカ・インディアンが既にそこにいたのだけれど、当時の彼らの意識、無意識の行動を見ると、原住民を人間と思っていなかったからです。一番いい証拠が、ヨーロッパ人のコロンブスが『初めて』アメリカ大陸を『発見』したと言っていることでしょう。けれども、アジア系の原住民が二万年も前からアメリカに住んでいたのだから、本当に人種偏見なしに客観的に正しく言うなら、コロンブスがヨーロッパ人としては初めてアメリカ大陸に『到達』したと言うべきです。」

基本的にヨーロッパを中心とする人たちの思考回路はこのようなものだと著者は言います。そして、非常に長い時間をかけて、「武力」「経済力」を高めて、その結果「言(語)力」を高めることでその国の力を盤石なものとしようとします。

世界的に大国として影響力を持つ国の多くは自らが大国となるための以上のプロセスを経てその地位を獲得しています。ですから、英語に限らず、スペイン語、ポルトガル語、フランス語と言ったような言語は今でも、その国の武力、経済力と相まって言(語)力としても一定の水準を維持しています。

それに対して、日本はそのようなプロセスを経ずに、経済力のみ急激に伸びることによって現在の地位を確保したために、いい意味でも悪い意味でも彼らと同じような発想でものを考えられないのだといいます。

私自身は、著者の意図とは異なり、そのような日本人のメンタリティはむしろ良いものだと思います。ただし、そのことが影響する日本人の自国語に対する姿勢や、外国語の習得に対する姿勢については改めたほうが良い部分がかなりあると思っています。

それは、日本人はもっと「自分は本当に英語が必要なのか」ということを冷静に考えたうえで、「確かに必要だ」と判断したら、英語を学ぶというアクションを選択するべきだということです。つまり、ぎりぎりまで、「俺は日本人なんだから日本語で通す」という自信をもって中身で勝負する姿勢をもっと大切にすべきだということです。

そして、いざ自分には「英語を使って自らを発信する」必要があると判断した場合、ではどのくらいのレベルで必要なのかということを把握して、そのレベルの英語力を確実に身に着けるために必要な環境を確保できることが重要だと思います。

国際化、グローバル化という言葉の根拠のないプレッシャーによって、日本人全員が英語人になる必要があるかのような認識が大勢を占めるようになってしまっています。その結果、取り立てて英語が必要のない、そしてそのモチベーションもない人に対しても一律に英語教育を施すようなメリハリのない体制によって、莫大な予算と時間が使われているのに、結果が出ない。そして、その結果ができな根本理由を理解できないから、同じ過ちを繰り返すという愚行を改める必要があるという著者の主張には非常に共感が持てました。

 

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