日本人と英語

日本語の主語は主語じゃない?

2018年3月4日 CATEGORY - 日本人と英語

以前に書籍紹介ブログにてご紹介した「おとなの英語力」からいくつかテーマをいただいて書いていこうと思います。

第一回目の今回は、「日本語の主語」についてです。

本書の一貫したテーマは、次のようなものです。

「英語という言語が西暦1500年ごろに、それまで日本語と同じように、語順が定まっておらず、動詞を活用させたり、補助語を使ったりすることで表現する主観的言語だったものが、SV、 SVC、 SVOという語順を定め、しかもSV、 SVCのような自分自身の主観に従って表現することに加えて、SVOという主語と動詞と目的語を確定させて、完全に自分と他者を分けて考える客観的言語となったという事実」

を伝えることです。

少しわかりにくいですが、本書の事例を借りれば、日本語で「コップが割れた。」という表現はできても、英語ではできないということです。

コップは自動的に割れるなどということはあり得ないわけで、必ず「You broke the cup.」という具合に、英語は、誰が何をどうしたという言い訳の効かない表現をしなければならない言語であるということです。

そして、そのような客観的な言語を手にしたイギリス人がその分析的思考を武器に産業革命を実現したという流れになります。

それでは、日本語はどこまで客観的、分析的はないのか、日本語と言えども主語はあるし、目的語も必ずというわけではないけれども、存在させることはできるではないかという疑問が浮かびます。

このことについて本書には次のような非常に分かりやすい説明がありました。

 明日 友人と 東京へ 買い物に 行きます。

明日 友人と 東京へ 買い物に 行きます。

友人と 明日 東京へ 買い物に 行きます。

東京へ 明日 友人と 買い物に 行きます。

買い物に 明日 友人と 東京へ 行きます。

というように、日本語では語順が確定していないため何通りもの文章を作ることができますが、英語では、

I will go to Tokyo for shopping with my friend tomorrow.

のみに限定されてしまいます。

そして、その英語の文章の主語は、誰が何と言おうと「I」だけです。

しかし、日本語では、一番上の文章の「私は」のみが、「主語」で、それ以外の文には主語らしきものは全くありませんが、一番最初にできてくる言葉に、「は」という助詞がついて、主語らしくなっています。

これは、どういうことでしょうか。

主語(らしきもの)は、実はその文章におけるテーマ設定だと言えます。

その上で、英語では、必ず文章のテーマは、「誰(何)が」すなわち主語になるのに対して、日本語では、ありとあらゆるものが、「は」をつけて主語らしきものとすることによってテーマになり得る言語だということです。

すなわち、英語はその行為を行う主体が必ずテーマになるからこそ、文章においてその行為における主体性がいつでも明らかになっていることを求める、このことをもって「客観的」であるというのです。

一方で、その行為の主体がテーマになる必要性がない日本語では、主体以外のものをテーマとすることができるため「主観的」であると言えます。

ですから、日本語の主語は、それは単なる数あるテーマ設定の一つであり、必ずしも「主語」として分類する必要がないかもしれないという意味で、タイトルの通り「日本語の主語は主語じゃない」と表現してみました。

非常に面白くしかも、説得力のある視点だと思いました。

 

 

 

 

 

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