日本人と英語

森有礼の英語至上主義の真意

2014年8月27日 CATEGORY - 日本人と英語

森有礼

 

 

 

 

 

 

 

元薩摩藩士で明治維新後、初代文部大臣となった森有礼。

彼は、日本語を廃止して英語を日本の国語に定めようとしたことで有名です。

有名といっても悪名高いといったほうが正確かもしれません。小渕総理大臣時代に騒動を引き起こした「英語公用語論」が記憶に新しいですが、それはあくまでも「公用語化」であり、「国語化」でなかったことを考えるとそのインパクトは比べ物にならないからです。

また、彼は単に日本の国語を英語にしようとしただけでなく、その英語は時制もない、活用もない、非常にシンプルなものにしようとしていたようです。

この考え方は、どこかザメンホフのエスペラント語という人工言語の試みにも通じるところがあるように思います。

この件に限らず、彼は急進的な欧米主義者として日本の近代化を進めることとなったことから、国粋主義者の怒りを買い、最終的に暗殺されています。

最終的にこのような悲劇に見舞われるのですが、アジアにおいて日本のみが近代化に成功し、列強の植民地にならずに済んだことは、彼の推し進めた日本の近代国家としての教育制度の確立に少なからずその理由が求められるべき大人物だと思います。

だからこそ、なぜ彼が「英語国語化」(日本語廃止)などという短絡的な政策を推し進めようとしたのか、どうしても解せないというのが私の正直な気持ちでした。

そんな中で、以前の書籍紹介ブログにて紹介しました「学校英語教育は何のため?」の中に、彼の進めようとした英語至上主義の真意と、彼の「英語公用語化」が未遂に終わることができた理由があわせて明らかになる記述を見つけました。

立教大学の鳥飼教授とブログ「内田樹の研究室」で有名な様々な方面でオピニオンリーダーとして活躍する内田樹氏との対談の中の以下のようなやり取りです。(一部修正)

■内田 英語公用語論を主張した森有礼は非常に見識の高い人だったと思います。強国の言語が国際共通語になるという言語の政治性を熟知していた。明治初期の日本語がおかれていた劣悪な言語環境を考えると、日本の植民地化を防ぐためには、日本語を捨てて公用語を英語にして、一気に学術レベルを世界標準まで上げるしか生き延びる方法はないと覚悟していたんだと思います。しかし、それが実現しなかったのは、明治初期の知識人たちが超人的な勢いで翻訳したおかげで、日本語で世界標準の学問ができるようになったからです。

■鳥飼 新しい事象には新たな語彙をどんどん作って日本語を拡張したくらいです。明治の近代化に翻訳は大きな役割を果たしました。

■内田 どんなに長い英語やフランス語の単語も漢字二つに置き換えられるわけですから翻訳の役割は非常に大きかったはずです。しかし、普通は自国語に存在しない概念を一つでも受け入れると国語の構造全体に影響が出るのでそう簡単にはいきません。ところが、日本語は初めから、土着の話し言葉の上に漢語が乗っているハイブリッド言語です。したがって、翻訳といっても実際は漢語というそれまた外国語に置き換えるだけです。外来語を外来語に置き換えるだけなので、母語的基盤には手を付けずに翻訳ができたのです。元のスポンジケーキは同じものでトッピングを変えたようなものです。

■鳥飼 それは見事です。

■内田 ハイブリッド言語という不思議な国語でしか起きない現象だと思います。中国(清朝)は翻訳による文物の取入れには失敗しました。中華思想では、自国語の概念だけで世界が記述できるということが前提ですから、自国語に存在しない概念に自国語を当てるということには痛みが伴うのです。この結果、最終的には日本人が翻訳した日本製の漢語を中国が逆輸入するということになったのです。

なるほど!と膝を叩いて納得しました。

以上の対談を注意深く見てみると、当時の日本の置かれた状況を考えれば、森有礼を短絡的な欧米主義者として非難することはあまりにも乱暴な議論だと思えてきます。

また、彼の政策をとらずとも日本が欧米列強の植民地にならなくて済んだという事実も、実は日本語がハイブリッド言語であり、翻訳による文物の取入れに驚異的に成功することができたという偶然性が大きく寄与しただけに過ぎないということを理解すべきかと思います。

この議論については、思った以上に奥深く、かつ、センシティブなものだと改めて感じさせられました。

 

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