日本人と英語

AI翻訳時代の英語学習の意味

2018年6月24日 CATEGORY - 日本人と英語

前回まで三回にわたって「その『英語』が子どもをダメにする」からテーマをいただいてきましたが、最終回の今回は「AI翻訳が発達した時代の英語教育」の意味について考えたいと思います。

昨今のAI技術、特に音声認識技術の進展は凄まじいものがあります。

本書では次のような指摘がなされています。

「中期的に見ると今世紀の半ばあるいはもっと早くに世界共通語は不要になるだろう。機械翻訳が通訳や翻訳を引き受けるようになり、外国語学習は専門家や物好き以外はやる必要のないことになる。そのような世界では、一つの言語が世界共通語の地位を担うことはないだろう。国々はそれぞれ自分の言語で機械翻訳を利用して自国のメッセージを他国に伝えるようになる可能性の方が大きい。」

実際に昨今のITの状況は、「コミュニケーション」のための外国語学習は近い将来完全に意味のないものとなるというこの説が真実に限りなく近いという実感を私たちにもたらしつつあり、私たちが身を置く語学教育業界は不安をもってその進展を見守っています。

しかし、私自身は結構楽観しています。

もちろん、それは「技術がそれを実現することがないだろう」という意味での楽観ではありません。

おそらく、それは実現され、「コミュニケーション」の意味における外国語学習は意味のないものとなるというのは事実だと思います。

しかし、言語の学習は「コミュニケーション」の目的を達成するためだけのものではありません。自分とは異なる言語で話す人々の文化との「相互理解」という目的もあるはずなのです。

その目的を達成するには、自らがその言語を操ることができるようになるしか方法はないと思うのです。それは、先ほどの引用文の中にある「専門家や物好き」の中に含まれるものかもしれません。

ですから、その絶対数は今よりもものすごく小さい規模にはなるかもしれませんが、その需要の深さは今よりもずっと深くなるはずです。

そう考えると、「生活と言語の融合」を実現しているランゲッジ・ヴィレッジは、もしかしたら現在よりもその価値を見直されるのではないかとこっそり思っているのです。(笑)

そうなることによって、語学学習は「母国語の理解に基づいてなされるべきだ」という本書やランゲッジ・ヴィレッジの考えの正当性をより鮮明にしてくれるような気がします。

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