日本人と英語

国際共通語とはなにか

2014年5月14日 CATEGORY - 日本人と英語

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国際共通語とは何でしょうか?

この国際共通語のことを欧米では「Lingua Franca リンガ フランカ」(=フランク王国の言葉)といいます。

共通語のことをなぜフランク王国の言葉というのかという疑問が湧いてくるのですが、十字軍の時代、エルサレムなどのレヴァント地域では西欧人のことを概してフランク人と呼んでおり、彼らが意思疎通に使う言葉という意味だそうです。フランク人といっても実際はフランス人を中心にイタリア人、その他、色々な欧州人が混じっていたから共通語が必要だったからということのようです。

実際には、ラテン語を祖とするイタリア語やフランス語、それからギリシャ語、アラビア語などの混成語だったようです。そのことから、現在では、母語がそれぞれ異なる人同士の意思の疎通に使われる言語を表す「国際共通語」という意味で使用されています。

つまり、当時のようにフランク地方という一地域ではなく、世界中がそれぞれに意思の疎通を必要とする現代においては、英語がリンガ・フランカであるといわれるのです。

 

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この「国際共通語」の概念をしっかり理解できる書籍があります。

立教大学の鳥飼教授の書かれた「国際共通語としての英語」です。書籍紹介のコーナーでも紹介しておりますので併せてお読みください。

この本を読むとわかるのは、現在国際共通語として認識されている英語が、そもそもはじめから共通語として機能するために存在するリンガ・フランカ(=フランク王国の言葉)と異なり、「いわゆる各国で自然に使用されている言語のひとつでもある」という点が話をややこしくさせていることです。

 

英語は、誰もが認めるリンガフランカとしての性格を有する一方で、例えばイギリスやアメリカ、オーストラリアなどでは立派な「母語」として成立しているということです。そのため、われわれ日本人のようにあくまでもリンガ・フランカとして使用することが前提の人々も、「母語」として使用している人たちの使い方を「正しいもの」として受け入れて、それを目標にするべきではないかという考えが存在してしまうことになります。

つまり、純粋に「共通語」としてだけで存在してくれていたら、日本人も正々堂々、「英語は通じればいい」だから、そのためだけの「最短距離の学習をすればいい」ということになるのですが、「ネイティブが言わないような表現は使ってはいけない」、とか「こんな使い方をしたら恥ずかしい」などという気持ちが生じてしまい、日本人が英語に苦手意識を持つ大きな要因となってしまっているということです。

特に日本においてはそれは「ネイティブ崇拝」の域にまで達してしまっていると感じます。

この点を踏まえて、鳥飼先生は英語教育の学者としては非常に珍しく、以下のようにおっしゃっています。

「これからは英語を国際コミュニケーションに使うという目的の明確化をして、国際共通語としての英語を学ぶとはどのような内実を伴ったものなのかを熟考し、教育に活かしませんか?」

このことは、私のような英語を実用の道具として活用することを商売にしているような人間は言いやすいですが、鳥飼先生のような立場で明確に発言することは非常に勇気のあることだと思います。でも、実際にはこのことを明示しなければいつまでたっても「実用か教養か」の昔ながらの議論の繰り返しを続けることになってしまいます。

前置きが長くなりましたが、今回明らかにしたいのは、「国際共通語としての英語を学ぶとはどのような内実を伴ったものなのかを熟考」することです。実は、その点に関して科学的なアプローチがすでに世界に存在しているのです。

それが、英語における「共通語としてのコア」を探すという試みです。

ここで肝心なのはこのコアを見出す際、ネイティブスピーカーが基準となるのではなく、ノンネイティブ同士がお互いがお互いの英語を理解できるかどうかという「分かりやすさ」が基準となるという発想です。ですから、各国の人々に英語を話してもらい、その英語を理解できたかどうかを検証するという実験を積み重ねることになります。

この音はきちんと発音しないと分かってもらえない、この音は少しくらい間違えても大丈夫などの分類を行って、絶対に守るべき英語の「コア」を見つけるのです。この研究はまだ結論が出るまでには至っていないようですが例えば、

日本人が気にするLとRの違いも、文脈から理解できるのでほとんど心配する必要がないとか、単語のつながり(コロケーション)についても、日本人的に言ってしまってもほとんどの場合大丈夫という具合です。

その際、アメリカ人に「アメリカではそのようには言わない」と指摘されたとしても、「日本語ではこのように言うのをリンガ・フランカである英語に載せるとこのように言う」と自信をもって反論できるというのが、リンガ・フランカとしての英語を使うということかもしれません。

もちろん、ネイティブとの会話の割合が多くなれば、それに影響を受け、その「正しい」表現を少しずつ増やしていけばいいでしょうが、それをはじめから求める必要性よりは、「通じる」英語をどんどん発信する必要性を明確に認識すべきだということです。

このことをもって鳥飼先生は、以下のようにまとめています。

「国際共通語として英語を学ぶという目的を明確にすることでネイティブを目標にするなどというもともと無理な到達度から学習者を開放し、ネイティブの規範から自由になることで英語学習の内容を整理することができるはずです。」

そして私も、このことを明確にすることで日本の英語教育を健康的に進化させる上で計り知れない威力をもっていると確信をしています。

 

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