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日本的全員プレーの弊害

2012年7月15日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。
 
7/5に福島第一原子力発電所の事故に関して、国会事故調査委員会による最終報告書が提出されました。
 
それについて、海外メディア二紙が次のようなコメントをしたと伝えられました。

ガーディアン紙は「フクシマの惨事の中心にあった日本文化の特徴」と題した記事で報告書の前文を引用し、島国の慣習や権威に責任を問わない姿勢が事故原因の一端にあるとする報告書の内容を伝えた。6日にも「文化の名の下に隠れるフクシマ・リポート」と題した記事で、「重大な報告書と文化を混同することは混乱したメッセージを世界に与える」と批判した。

一方、「非常に日本的な大惨事」との見出しで報じたタイムズ紙(6日付)も「過ちは日本が国全体で起こしたものではなく、個人が責任を負い、彼らの不作為が罰せられるべきものだ。集団で責任を負う文化では問題を乗り越えることはできない」とコメントした。

この日本的全員プレーの特異性は、このことだけではなく、企業経営の面についてもよく議論に上ります。

特にクローズアップされたのが日産自動車を圧倒的なリーダーシップでどん底から超優良企業に返り咲かせたカルロスゴーン社長の報酬が10億円近くになるのに、一般的な日本の大企業の社長の報酬は2~3千万というのが相場ということで、ゴーン社長が取りすぎではないかという批判です。

これは、日本の常識は世界の非常識、世界の常識は日本の非常識ということで片付けるべきものではなく、まさにこの問題に直接に関係していると思います。
 
会社のトップである社長は「代表権」を持っています。
 
すなわち、何でもできるわけです。
 
その代表権を持った人間の決定をそれ以下の社員は単純に「代行」するだけというのが、会社法の考え方であり、もちろん日本でも法律ではそうなってます。

ですから、当然その権限とともに「義務」は理論的に言えば、他の社員との比ではないのです。

極端な話、何かあった場合、会社に変わってその損害を肩代わりするというか、むしろ自分のこととして弁済するという責任の取り方を想定しておかなければならないということです。

まさに「当事者」なのです。

であれば、日産自動車というような影響の及ぶ範囲がとんでもなく広い会社であって、利益が出ているのであれば、ゴーン社長にとっては決して多い金額ではないということになるでしょう。

そう考えれば、会社として何千億円のリスクを抱えて運営してるのにその最終責任者が、何の責任もとりえない財務状況であって、そうであるがゆえに、そもそも何かあったときの責任など取りえるわけもないと最初から開き直った経営にならざるを得ないということです。

にもかかわらず、日本人の多くが「ゴーン社長はおかしい」と思ってしまうことこそ、今回ガーディアン紙とタイムズ紙がいぶかしむ日本の全員プレーの弊害のあらわれだと考えるべきかも知れません。