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本当の「幼児教育」とは

2015年1月28日 CATEGORY - 代表ブログ

幼稚園では遅すぎる

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん、こんにちは。

書籍ブログでご紹介した「英語屋さん」という本は、ソニーの創業者井深大氏の通訳兼かばん持ちに任命された著者の「英語屋」としての四年半にわたる経験を様々なエピソードを交えて書かれたものですが、この本を読むことで井深氏ご本人について非常に興味を持ちました。

著者が「英語屋さん」として仕えていた時には、井深氏はソニーの業務の一線からは退いて「幼児教育」についての研究に没頭されていたと言います。そこで、本書の中での紹介されている井深氏の著書「幼稚園では遅すぎる」を読むことにしました。

私のブログを読まれている方は、ご存じだと思いますが、私は「幼児教育」には基本的に反対の立場をとっています。ですので、当然、本書を読むときの姿勢としては「批判的」スタンスで読み始めました。

基本的に井深氏の幼児教育論は以下のような考えに基づいています。

「人間の脳細胞は約百四十億個もあるといわれていますが、生まれたばかりの赤ん坊の脳はまだ白紙の状態であり、その脳細胞のほとんどが稼働していません。脳細胞は一つでは何の働きもしません。トランジスターが、それぞれをつなぐ配線ができて初めて電気計算機としての機能を果たすことができるように、それぞれの脳細胞が絡み合うことで、外から入ってくる情報の処理という頭脳特有の働きを示すことができるのです。この配線のつなぎが急速に進む時期がゼロ歳から三歳の時期なのです。だからこそ、幼児教育は三歳までに勝負をかけるべきなのです。ですから、幼稚園では遅すぎるというわけです。」

このあたりまで読んだところで、私の井深氏の見解に対する「批判的」姿勢は頂点に達してしまい、ソニーという偉大な企業を作られた彼への尊敬の念すら揺らぎ始めてしまいました。

しかし、それ以降、読み進めていくに従って、彼の言う「幼児教育」の定義がいわゆる世間で言われている定義と異なっていることに気が付きます。

「『幼児教育』といっても学校教育を先取りしたような知識の詰め込みを意味しません。幼児期は最も周りの環境に影響を受けやすいだけにいい環境づくりこそが親の最大の責任と言えるでしょう。教育に定型はありません。健全な刺激を与えるために両親や祖父母がスキンシップを伴っていい刺激を与えることです。ことさら人と違って特殊なことをする必要はありません。仲の良い両親、明るく和やかな家庭、これら以上の幼児教育はないと言っていいでしょう。つまり、幼児教育の唯一の目的は柔軟な頭脳と丈夫な体を持った明るく素直な性格に育てることです。」

そして、「いい環境づくり」とはどういうものなのかを以下のように具体的に示してくれています。

「幼児は外界の多くの物の中に、自分の興味の対象になるものを自然に見つけ、自らその興味を次第に深めて持続させていきます。そこに親の手助けというものが必要なのです。具体的には、幼児が強い興味を示したものに対して、親がそれにいち早く気づき、反応してやるかやらないかが、幼児の興味を持続させるうえで重大な意味を持っています。興味の芽というのはほんの瞬時の間にめまぐるしく芽生え、また萎れていきます。親としては、その芽生えの瞬間を的確にとらえて助長してやることが必要でしょう。とはいっても、すべての興味を均等に伸ばしてやるなどということは不可能です。できるだけ多くの興味に対して可能性を試すチャンスだけは与えてやりたいものです。」

この時点で、私の井深氏に対する「批判的」姿勢は消え去りました。そして、私は彼の「幼児教育」論の大ファンになってしまいました。

しかし、世の中の親の多くは「幼児教育」を上記のような文脈ではなく、いわゆる「英才教育」、学校教育を先取りしたような知識の詰め込み教育として理解してしまっています。そして、井深氏の著作も、その文脈での「証拠」として認識されてしまっているように感じます。

時折本書の中に出てくる、バイオリンや英会話に触れさせることの効用はあくまでも、子供の可能性を開花させる数ある方法の例示の一部として取り上げられているにすぎません。にもかかわらず、それらを幼児教育の「定型」として井深氏が推奨しているかのような文脈を意図的に作ろうとしてしまうのです。

そして、「あのソニーの井深会長が幼児教育を勧めている。」という表面的事実のみが独り歩きをし始めます。事実、私自身も実際に本書を読むまではその方向性で理解していましたから。

この方向性は、多くの幼児教育業者によって意図的に行われる宣伝活動によっても助長されてきました。彼らによって、巧みに井深氏の著作にちりばめられている断片的な文章を自らの売りたい商品の都合に合わせて「証拠」として利用されてきたのです。

このことを考えると、私は「幼児教育」の本質は「保護者教育」ではないかと思えてきます。

親に対して、わが子の教育について時間と労力を伴って真剣に「自分の頭で考える」覚悟を持つことが重要だという事実を認識させることです。

もし、親として、本当に「幼児教育」に関心を持ったのであれば、少なくとも井深氏の著作を実際に読むことくらいはするべきでしょう。そうすれば、この本が、いわゆる「英才教育」、学校教育を先取りしたような知識の詰め込みを推進すべき「証拠」として利用されることはなくなるはずです。

あとは、それぞれの家庭において親自身が、本当の意味での「幼児教育」の唯一の目的である「柔軟な頭脳と丈夫な体を持った明るく素直な性格に育てること」のために、「できるだけ多くの興味に対して可能性を試すチャンスだけは与えてあげる」ことを「自分の頭で考え」て実践していけばよいのです。

 

 

 

 

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