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法令遵守が国を滅ぼす

2017年3月20日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

森友学園問題や防衛省の問題でてんてこ舞いの国会ですが、本来議論されるべき課題が置いてきぼりなのは本当にいつものことで、やりきれない気持ちにさせられます。

そして、これらすべてが「法令」に違反しているかどうか、すなわちコンプライアンスの問題であることは一致しています。

そんなタイミングで、少し古いものではありますが「法令遵守が国を滅ぼす」という本を読みました。

この本を読んで、「法令遵守」という訳語がありながら「コンプライアンス」という横文字の言葉をあえて使う必要性について考えさせられました。

本書の著者は、元長崎地検次席検事という「法令遵守」を世の中に徹底させる仕事をしてきた方ですが、昨今の「法令遵守」を取り巻く日本の流れに対して、「日本は果たして法治国家だろうか。」という辛辣な「疑問」を本書冒頭で投げかけています。

この「疑問」の根底にある問題について、分かりやすく「談合」を例に説明しています。

「談合」は、かつても刑法に規定される談合罪として認められないこととなっていました。

しかし、地方の建設業者間での話し合いが、建設業協会などの正式に認可を受けた業界団体の場で開かれ、大手ゼネコン間でも業者間の親睦団体の場などで会合が開かれて、発注予定者の決定が行われていたわけで、少なくとも、業界内部においては、談合システムの存在を認識していないものはほとんどいないほど公然の違法行為でした。

その理由は、刑法の談合罪の処罰規定が、導入当時の議会審議を経て、「公正なる価格を害する目的」と「不正の利益を得る目的」のいずれかの主観的要件を満たす談合だけ処罰の対象とされるという条件を付けたことです。

これは、敗戦後から高度経済成長期にかけての膨大な量の公共工事を安定的にそして適正にさばくことは、業者間で信頼できる業者が選定されるというシステムにする以外に実現できなかったからです。

まだ業界が未成熟な時に、建前としての市場原理主義を突き通したら、実力以上の仕事を無理に受注するなどして、危険な工事が行われることが頻発していたはずです。

また、十分な利益を確保できず、研究開発費を捻出できないため、今日の日本の建築技術レベルを確立することもできなかったはずです。

そのようなことを回避するという社会的要請のもとに、談合システムを官民一体となって作り出したうえで、「公正なる価格を害する目的」と「不正の利益を得る目的」の悪質な談合のみを排除することで、価格の適正化も同時に達成していたのです。

つまり、法律の杓子定規を現実に修正する仕組みを法律の枠外で機能させていたということです。

それが、昨今では、「法令遵守」という意識の世論に占める割合が高まってきたことによって、問題の本質である杓子定規の法律自体には変化を加える努力をせずに、その法律の枠外の仕組みのみを「悪」として破壊してしまうケースが増えており、この流れが、現在の「法令遵守」意識と現実のずれを広げてしまっていると著者は言います。

この問題を放置してきたことをもって著者は、「日本は果たして法治国家だろうか。」という疑問を呈しています。

本来行われなければならないのは、これまで法律と現実との帳尻を合わせるために、法律の枠外の仕組みが果たしてきた機能を、法律改正によって純粋に法律自体に持たせるという王道です。

国民的な議論を経ることで、建前を本音に合わせ、多くの国民が納得できる建前を作ることが必要です。

時速30km制限で走ることなどありえない中で、時速30km制限というルールを作るのではなく、本当に必要だと思われる、45km制限というルールを作って、これを確実に守らなければいけないと自覚できる国民ばかりの国、それが本当の意味での「法治国家」なのかもしれません。

成熟したこれからの日本において私たちは、「コンプライアンス」という横文字の言葉を使わざるをえないのは、単純な「法令遵守」という訳語を当てはめるのではなく、法令の背後にある「社会の要請に応えること」という包括的な意味で理解することが求められているからだと認識するべきだと思いました。