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英語ができると困る世界

2017年9月22日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日(2017年9月15日)の日経新聞電子版に「河野氏の英語力、外務省で受けないワケ」と題した記事がありました。

「河野氏は慶大から米名門ジョージタウン大で国際関係を学び、同大在学中は米下院議員事務所でインターンも経験した。ゼロックス勤務時代はシンガポールに駐在し、議員になってからも毎年米国を訪問する。」

「その語学力を内外に知らしめたのは2011年にさかのぼる。東日本大震災直後、米CNNの生中継に日本から出演し、キャスターと丁々発止でやりとりした。『4号機がただちに爆発するというようなことはない。政府は情報を出すのが遅いだけでウソを言っているわけではない』。日本の対応に疑心暗鬼になっている米国に対し、野党議員にもかかわらず政府の立場を英語で丁寧に説明した。旧知の信田智人国際大教授は「複雑なことでも単純化して直接的なメッセージとして英語で話す能力は高い」と評価する。」

記事は、以上のような彼の英語能力の高さを評価する内容とともに、以下の様な外交が単純なコミュニケーション力のみで左右されるようなものではないという外務省側の考えを紹介しています。

「しかし外務省の見方は異なる。「外相レベルの交渉に語学力はそれほど必要ない。むしろ害になることもある」。外務省幹部は指摘する。首脳会談や外相会談はそれぞれ母国語で話すのが基本で、外務省で特別に研修を受けた通訳官が常に同席する。河野氏の語学力を評価する信田氏も「単純明快な英語は外交交渉には向かないのかもしれない。通訳をはさむことで、誤った言質を先方に与えることを防げるし、時間的にも交渉のペースを調整することができる」と指摘する。外相経験者の一人も「外相に必要なのは語学力より体力だ」と言い放つ。」

一般的には、「外務大臣たるもの英語で他国の要人とやり取りができる能力を持つことは当たり前の事であって、その是非を議論することなんてありえない。」という考えはあるでしょう。

しかし、一方で記事の中にも少し触れられていましたが、故宮沢元総理大臣が大臣になる前に自らの英語力を過信して通訳なしで仕事をしたことによって批判を受けたりしたように日本においては意外にも従来からそうではない意見が存在します。

私は、この点についてもバランスの問題だと思います。

外交においては、公式なシーンと非公式なシーンとが別個に存在しています。

当然、晩餐会など非公式な場面において各国の要人とは、通訳なしで直接会話をし信頼関係を醸成する必要があるでしょう。

この点において、今までの日本の大臣は残念なパターンが多すぎたと思います。

しかし、公式な会談においては、仮にそのような非公式な場で信頼関係を構築した相手だとしても、敢えて通訳を通し、言語における「フェアネス」を確保したほうが良いのは当然だと思います。

特に、日本語は欧米の言語とはあまりにも言語的距離が離れているので、文化に根差した微妙なニュアンスに対するケアに神経を使うことは通訳に任せて、大臣自らは会談の成果を出すことに集中すべきです。

英語を真剣に学んだ経験がある人であれば、逆にそのことの重要性を認識されているはずです。

この二つをきっちりと使い分け、スタンドプレーに走らない「仕事人」を私はこの政治という世界に求めたいと思います。