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読書について

2014年7月2日 CATEGORY - 代表ブログ

読書力

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん、こんにちは。

先日ご紹介の「コミュニケーション力」に引き続き、齋藤孝教授の「読書力」を読みました。

私も読書に関しては非常に思い入れがあるほうだと思うのですが、齋藤先生の読書に対する思い入れ、というかもはや愛情は私のそれとは比較にならないくらい凄まじいことがこの本を読むとわかります。

まずは、大学教授である立場から、最近の大学生の「読書離れ」に対して本当にしつこい程の警鐘を鳴らしています。先生の主張は一言でいうと「読書をしない大学生は大学生にあらず」です。そして、私もそう思います。

大学の講義それ自体からの知識の吸収量なんてコマ数からいってもたかが知れています。そもそも大学の講義は本との出会いの場であるという認識のほうが正しいのではないでしょうか。そのことからいえば、読書の習慣化ができている学生は、そもそも講義に出席する必要などないと(これは齋藤先生ではなく「私が」)思っています。

そして、この考えに立てば「人生は一生勉強」という学習観が当然のこととして見えてきます。読書力さえ身につけば、人生においてたかだか4年間しかない大学で得られる知識などとるに足りないものと捉えられるからです。むしろ、その後からが勝負なわけです。

ここで私の個人的な「読書」との出会いを少しだけご紹介したいと思います。

実は私は、高校を卒業するまでは受験勉強はそれなりにやりましたが、「読書」という習慣がほとんどなく学校の課題図書なども適当にあらすじを人から聞いて感想文を書くほどでした。

そんな状況だったので当然と言えば当然かもしれませんが大学に入学後、(自著「富士山メソッド」にも書きましたが)日本の大学特有の「何にも強制されない自由」になじめず、最終的にアメリカ留学を決意しました。

「何にも強制されない自由」に違和感を感じてから、アメリカ留学を実行するまでの約一年はほとんどアパートに「引きこもり」状態でした。

その余りある時間の中で行ったことが「読書」でした。

アパートの中で朝から晩まで本を読むという生活で、おそらくこの時読んだ本の量は、それまでの人生の中で読んだ量の数十倍といった感じだと思います。

アメリカ留学を終え、日本の大学に戻りましたが幸いにしてアメリカ留学のブランクを経ても読書習慣は継続できました。しかし、大学の講義に出席しないという姿勢は変わりません。ただし、卒業はしなければなりませんので期末の試験は受けることになります。

そこで分かったことは大学の講義はシラバスに紹介されている教科書と参考文献を読み、それらを読む中で自ら必要だと思う本を派生読みすれば、単位など出席しなくても問題なく取れてしまうという事実です。

幸いにして、私の大学は当時(今はどうか分かりませんが)出席をとる講義は語学系のものくらいで、専門講義についてはほとんど出席確認はありませんでした。このことから、今でも私は、ろくに学生に読書をさせずに、出席が単位取得の大前提とするような講義を行うような大学(もしくは講師)は信用しません。

このように私の読書に対する思い入れは非常に屈折しており、齋藤先生の読書観と合わせて語ると失礼になりそうなので私の個人的な読書話はこれくらいにして、齋藤先生の「読書力」の話に戻ります。(笑)

著書の中で齋藤先生は、「読書力とは読書を通して様々な能力を身に着ける力」と定義されています。その読書力を構成する能力としてはっきりと整理して述べられてはいませんが、私なりに整理すると以下のようなものかと思われます。

「思考力」

「要約力」

「自己相対力」

「体験代替力」

「コミュニケーション力」

言い換えれば、人間の思考活動におけるほとんどすべての能力を読書によって得ることができるということになると思います。そして、読書を四股にたとえてそのことを強調されています。

「読書は四股に似ている。相撲を取るための素地を作る最良の方法が四股である。相撲部屋で四股を踏まなくてもいいというところは一つもない。(中略)読書は思考活動における素地を作るものだ。読書をしないということは、四股を踏まないものがとる相撲のようにレベルの低いままに止まる。」

また、幅広く読書することの効用についても以下の言及をされています。

「読書の幅が狭いと一つのものを絶対視するようになる。教養があるということは、幅の広い読書をし、総合的な判断を下すことができるということだ。目の前の一つの神秘に目を奪われ、冷静な判断ができなくなるものは、知性や教養があるとは言えない。」

上記のことからも齋藤先生は「読書」に対して絶対的な価値を見出しているように感じます。それは、読書の全能感と言ってもよいかもしれません。私の読書との付き合いなど先生のそれとは比べ物にならないことはよくわかっていますが、それでもやはり、私は読書の限界にも少しは目を向けるべきかとは思います。

先生は「読書不要論」=「経験至上主義」の論者を徹底的に批判されます。私も大方は先生の意見に与するものですが、不要論者の肩をかろうじて持つならば、実体験の重要性も併せて強調するべきだということです。

重要なのは、読書という活動が人間の成長にとって最良の「イメージトレーニング」だという認識を持つべきだということではないでしょうか。あくまでも、「イメージトレーニング」に過ぎないということをしっかり認識した上で、実社会を生き抜く中で実際に起こる様々な出来事を体験することで、「経験」としてその上に載せるからこそ、健康的にそして安定的にその人間になじみ、バランスの取れた「自己形成」を実現できると思うからです。

しかしながら、「読書」を「読書道」とまで言ってよい程のレベルにまでに位置づけようとする著者のその心意気には心から敬服しました。