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○○スクールの是非

2010年7月21日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

昨日のニュース23で優秀な教師を育成するために、教員養成大学院なるものの特集をやっていました。

ねらいとしては、昨今教育現場で教師の質が低下し、学級崩壊、学力低下が目立つようになり、そのための対応策として4年制教育だけでは不十分で、大学院での専門的な教育が必要だということらしいです。

最近では、アメリカの影響で、専門教育の必要性が多くの分野で導入されています。たとえば、司法試験制度を改正して、法科大学院、すなわちロースクールを作ったり、会計の専門家の養成のためにアカウンティングスクールを作ったりとさまざまです。

これらは、旧司法試験や、公認会計士試験のような知識偏重の試験だけで合格させるのを避けるという目的があり、それはそれで一定の評価はできるかもしれません。

しかし、これらも入り口を狭めることで多様な人材が法曹、会計界に入っていくのを抑制してしまうことにもなりかねないとも考えられ、入り口は簡単にして、後は実際に優秀な仕事ができるかできないかの市場原理に任せるようにしたほうがよいとともいます。

ただ、それにもまして、評価できないのがこの教育大学院、そして教員資格を院卒に限定していこうとしている政府の考え方です。

現在の教育現場で教師の質が問われているのは彼らに教育学の専門知識が不足しているからではありません。

逆に、彼らが社会での多様な「経験」を積むということをしてきていないというのが、多様な生徒を扱う上で能力不足を露呈してしまっているからに他ならないと思うからです。

大学(院)を卒業してすぐに「学校」という社会とは隔絶された少数の大人である「先生」と大多数の子供である「生徒」という画一的な環境のみに身をおいてしまって、普通の社会での競争や軋轢、ねたみ、ひがみ、感動などありとあらゆる人生経験の場を人工的に避けてしまっていることからくる実社会経験不足がその原因ではないかと思っています。

そうであるならば、本当にしなければならない教育制度改革とは、教師に大学院での教育専門教育を施すことではなく、少なくとも3~5年の実社会経験を課した上での採用というほうがどれだけ実効力があるかと思っています。

たとえば、英語教師であれば、青年海外協力隊で発展途上国での活動を経験し、その活動で英語も実際に「使用」した経験がある教師に教わる生徒は、その先生からどんなものが得られるのか。

想像しただけでわくわくするような気がしてくるのは私だけでしょうか?

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