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これが答えだ!

2017年10月8日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

今までこのブログで何度も「国際化」と「グローバル化」の違いについて議論してきましたが、私は自著「富士山メソッド」の最後で、この違いという論点の存在を意識せずに、「国際化」の重要性について言及していたのだということを後になって気づきました。

私は、次のように書いています。

「日本人は欧米から『文化的浮気性だ』と言われることがあります。葬式は仏教、クリスマスはキリスト教、初詣は神道という宗教的文化的「おおらかさ」は「信仰心のなさ」というマイナスの評価がなされることが多いようです。しかし、私は日本人は世界でもトップクラスに道徳心の強い国民だと思います。強い経済力、治安の良さ、社会システムの安定性など、最近では少しずつそれらの自信に陰りが出てきたようにも思えますが、まだまだ世界水準からみてトップクラスだと言えます。これらのことは、決して日本人の文化的「おおらかさ」と無関係ではないと思うのです。日本人は、「人智を超えた存在」を説明するためのコミュニケーションツールとして様々な宗教を本質的に理解しながら、上手に付き合っている国民だといえるのではないでしょうか。その意味では、日本人は本来、マルチリンガルになる素質を最も持ち合わせている国民のひとつではないかと思っています。(一部中略加筆修正)」

私は自著執筆時にこのテーマについて、ここまでしか表現することができませんでしたが、この問題に鋭く切り込み、まさに「これが答えだ!」といえる説明をされている方の存在を知りました。

2016年に京都で開催されたTEDにてスピーチされた松山大耕さんという若い僧侶の方です。

彼の主張はこうです。

一般的な宗教では、特定のものを絶対視(believing in something)するもので、その教義に逆らうことは許されません。

それに対して、日本の宗教観は、あらゆるものに共通する考えを見出そう(respecting for something)とするものです。

ですから、自分と違ったものでも、それを否定せずまずは共通のものを見つける努力をし、それがあれば、取り入れてもいいし、なければ距離を置けばいい。

ですから、この考え方であれば、決して宗教を原因とする戦争は起きようがないということです。

松山氏は、これは仏教という宗教そのものの考えがそうということではなく、日本の宗教観がそうであるということを言っています。

そのため、日本のそのような宗教観の中で培われた日本の仏教もそうですし、彼が通った学校を運営する日本のカトリックもそういうことになります。

私も中学・高校とカトリックの学校に行っていましたが、彼が通った学校と同じようにお寺の息子さんも普通に学んでいました。

このことをもって「信仰心のなさ」とし、特定の宗教の教義を守るために他の宗教を否定することを「信仰心が篤い」とすることに違和感を感じる今の自分を作ってくれた日本の宗教観に対して心からありがたいと思えます。

また、これこそが、今までこのブログで議論してきた「国際化」の考え方に等しいものだと思います。

その意味で、私が自著に書き記した「日本人は本来、マルチリンガルになる素質を最も持ち合わせている国民のひとつではないでしょうか。」という表現は今でもその通りだと思っています。

 

 

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