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たけしくん、ハイ!

2018年7月13日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回の記事で吉本ばななさんの「おとなになるってどんなこと?」という本をご紹介して、「大人になる」ことの本質について考えました。

その中では、「大人になること」とは、自分と社会との関係性を客観的に見ることができるようになり、その理解に基づいてとる自分の行動に責任が生じることを認識できるようになることだということが明らかにされました。

自分と社会との関係性を客観的に見ることができるようになることが求められるならば、子どものころに「社会」というものの実態を観察する機会が与えられる必要があるということになります。

昨今、いわゆる「立派な大人」が、大変な失態を犯してしまうケースが目立つのは、一部の能力が優れていたため、「立派な地位」には就くことができたけれども、子供のころに自分と社会の関係性を客観視する機会に恵まれなかったために「大人になること」ができなかったからではないでしょうか。

子供のころに自分と社会の関係性を客観視する機会に恵まれた人が自らの過去の経験をつづった本としてビートたけしの「たけしくん、ハイ!」があります。

この本の中には、著者が育ってきた、大人と子供を含めた人間のあらゆる本性が丸出しとなった環境が赤裸々に描写されています。

人間の小ささ、みっともなさ、そしてプライド、ありとあらゆる心の状態を実体験する機会のオンパレードでした。つまり、ビートたけしは、人間の本質を子供のころに一通り、自ら体験せざるを得ない環境にあったということだと思います。

彼に比べたら、私の経験などたいそう小さく思えてしまうのですが、彼が披露しているエピソードと重なるものがありました。

それは、家業を手伝わされるところを同級生に見られるときにどうしようもない「恥ずかしさ」を感じるというエピソードです。

しかも、自分のそのような状況が、ほかの同級生が楽しんでいる時にあたってしまうことで、その「恥ずかしさ」が「みじめさ」に昇華してしまうというところまで一緒でした。

私が小さいころ家業としてお茶の栽培・製造・販売をしていましたので、小学生の中学年にもなると毎年五月ごろにはお茶の収穫や製茶の作業に駆り出されました。

ちょうどそれは世の中ゴールデンウィーク真っ最中ということで、同級生の多くは家族で観光地に行くことになります。

お茶畑で作業中に、旅行先へ向かう車内から「じゃーねー」なんて言われた時には、もう「恥ずかしさ」と「みじめさ」で、下を向いているしかなくなってしまうのです。

ですから、ゴールデンウィーク明けに学校で彼らから旅行のお土産をもらうということは、私にとっては本当に屈辱的なことでした。

そのため、今でも私は旅行に行ってもお土産を買いません。

家族で旅行をしても、すでにいただいたことのある友人へのお返し以外には女房や子供たちにも極力買わせません。

それによって、喜ぶ人がいるかもしれませんが、嫌な思いをする人がいるということに気付くべきだと思うからです。

このようなことを知ったうえで、どういう行動をとるべきかを考えることができるというのが、前回の「大人になるってどういうこと?」で著者が指摘されていた「自分と社会との関係性を客観的に見ることができるようになり、その理解に基づいてとる自分の行動に責任が生じることを認識できるようになること」なのだと思います。

「小さい時の苦労は買ってでもしろ」という言葉がありますが、自分の子供たちには、しなくていい苦労はさせなくとも、するべき苦労から逃げさせないことと、そのことから教訓を得ようとする姿勢だけは持たせたいと思います。

そうすれば、「立派な地位」に就けた時、「立派な大人」としてふるまえるようになると思うからです。

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