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なぜアマゾンは1円で本が売れるのか

2017年5月24日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回まで3回にわたってネット関連の問題について考えてきましたが、その中で一貫しているのは、この問題の本質が「メディア」とその上に乗るべき「コンテンツ」の戦いに関するものだということです。

今回は、「なぜアマゾンは1円で本が売れるのか」という本を題材にこの問題についての結論的なものを見つけたいと思います。

このタイトルからすると、アマゾンの物流戦略関連の本ではないかと思えてしまいますが、実際には「中古本が1円で売られている」現実がアマゾンマーケットプレイスという「メディア」と中古本という「コンテンツ」の戦いの結果そのものだという意味から設定されたものであると思われます。

タイトルがあまりにセンセーショナルなので、それに魅かれて手にして、まったく自分の興味とは関係のないものだったとがっかりされた読者もかなりにいるのではないかと思います。

本題には関係ありませんが、最近はそういったタイトル設定が多いのが気になります。(笑)

メディアとコンテンツはいいかえれば、入れ物と中身なので、そもそもはどちらが主役かといえば明らかに後者であるはずですし、ネットが出てくるまでは誰もがそれを疑いませんでした。

ですから、情報関連の仕事にかかわる人たちの関心は、いかに良いコンテンツを作るかという一点での競争にあり、それを前提にコンテンツ作成者は努力をすることが当たり前で、その意図は正当に評価されていました。

ところが、ネットの出現後は、コンテンツ制作者の意図よりもメディア側の意図のほうが優先されるようになってしまいました。

このあたりのことについては、すでに「ネット時代におけるニュースの行方 その1その2」で見てきました。

それは、「人間のコンテンツの質に対する期待」を「メディアの使い勝手の良さ」が上回ってしまい、メディアという入れ物価値自体の評価が高まってしまった結果です。

この逆転現象が一時的なものなのか、それとも今後の変わらぬ方向性なのかということが私の関心なのですが、本書の中には少しだけその先を占うような以下の言及がありましたのでご紹介したいと思います。

「機械+人間は素の人間や機械単体よりも強くなる可能性がある。」

機械は、メディアの運用に関してこれからもっともっと強みを発揮していくはずです。そして、コンテンツの作り手としての人間の力は、今のところ過小評価されてしまっていますが、やはりこの部分では機械に負けることはなかなかないはずです。

となれば、機械によるメディアの進化が、人間だからこそ作ることができるコンテンツを上手ににその中に組み込みこむことができたら、1+1=2ではなく、3にも10にもすることができるような可能性も見えてくるかもしれません。

それは、やはりその動きを自然に任せるのではなく、コンテンツ収入と広告収入のベストミックスというマネタイズ政策をしっかり考えることによる援護射撃も必要となると思われます。

それは、パラリンピックの義足の走り幅跳びの記録がオリンピックの記録を超えるというような明確で劇的なものにはなりにくいかもしれませんが、やりようによっては不可能ではない気がします。

 

 

 

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