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オックスフォードからの警鐘

2018年4月4日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

以前に書籍紹介ブログにてご紹介した鳥飼先生の「英語教育の危機」にて日本の大学の危機意識のポイントがズレているということの指摘のところで参照されていた「オックスフォードからの警鐘」という本を読みました。

本書の著者はオックスフォード大学で教鞭をとられる刈谷剛彦氏で日本の大学のグローバル化の方向性について非常に厳しい指摘をされています。

現在、日本の大学は世界大学ランキングにおける順位の低下に見られるようなグローバル化の遅れを取り戻すことに躍起になっていることは事実です。

その具体例として、世界レベルの教育研究を行うトップ大学や国際化を牽引するグローバル大学に対し支援を行う「スーパーグローバル大学創成支援」プログラムの運用というものがあります。

このプログラムに採択されるため、講義のうちどのくらいの割合が「英語」で行われるのかを含めた「グローバル化の程度」を必死になって高める努力が大学には求められました。

しかし、そのような努力もむなしく、世界的に見て日本の大学の存在感は低下する一方です。

本書は、この問題の本質がどこにあるのか、そしてそれを打破して日本の大学の世界における存在感を向上させるためには何が必要なのかについて日本の外からの視点から書かれたものです。

そもそも日本は国際公用語である英語をあくまでも外国語としてしか扱っていません。つまり、「よそ行き」の言葉です。

ですから、この言葉を「思考の基礎」として利用することはできませんし、仮にしたとしてもそれらを母国語とする欧米の大学とのまともな競争などできるわけがありません。

ですから、自動的に日本の大学は日本語を「思考の基礎」として活用し、そこで得た「成果」を英語というメディアに載せて世界に公表するしかないのです。

そうなると、日本の大学が目指すべきは、「日本でこそ学べ、あるいは研究でき、しかも国際的に通用する付加価値が認められる分野」を設定してグローバルなスタンダードで示していくことになります。

つまり、ニッチ戦略です。

ニッチと言っても、その分野によっては世界を驚かせることはできます。例えば再生医療、そうですあの「iPS細胞」などはその好例ではないでしょうか。

こういった分野を増やし伸ばしていければ、大学における講義のうちどのくらいの割合が「英語」で行われるのかなどと言ったことに精を出す必要などなくなるはずです。

上記で紹介した「スーパーグローバル大学創成支援」プログラムをはじめとする現時点での日本の大学が進めようとしている「グローバル化」は、まさにこの方向性とは真逆の欧米のスタイルの「ミニチュア版」を目指すようなものですから、本家である彼らとまともな競争になるわけもありません。

著者はこのことについて厳しく指摘されています。

そもそも、世界の大学ランキングの結果も、欧米のスタンダードで出されているわけで、その研究の前提がほとんど日本語で行われている日本の大学が低く評価されるのは仕方のないことで、その結果を見て「危機感」をもっても、適切な対策などとれるわけもありません。

その背景を無視し、「世界大学ランキング」という外の声に過剰反応することは、「日本人が一般に英語ができないのは小さいころから英語を学んでいないからだ」という世の中の素人考えに抗うことができずに「小学校英語」を見切り発車させてしまった構図と非常によく似ています。

私たち日本人は、そろそろ教育という国家百年の計に対する大局観、本質観を身に付けなければ取り返しのつかないことになってしまうような気がします。

 

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