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仕事とはなんぞや

2014年4月20日 CATEGORY - 代表ブログ

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前々回の記事で小保方問題を取り上げました。

この問題で研究者からの視点を知りたいと思い、いろいろな方のブログなどを見て回ったのですが、かなりの方々がミニワイドショー的な感情的視点から書かれていることに驚きを受けました。

そんな中で、私の尊敬する経営学者、楠木教授のブログに非常に興味深い記事がありましたのでご紹介します。

 楠木教授のブログの記事は こちら です。

楠木教授はあくまでも経営学の研究者なので、この問題について真偽を論ずる立場にはないため、IPS細胞の山中教授の発した言葉を引用して上記のようなミニワイドショー的視点を批判しています。

「STAP細胞の科学的な検証を待ちたい」

まさに、楠木教授のおっしゃる通りこれ以上言いようがないわけです。「多くの研究者が真摯に仕事をしているのに、こんな事件が起こるとアカデミズムに対する社会的な信頼を壊す」「こんな事件が起こると、学位(博士号)の価値が毀損する」などといった意見に対して、「こんなことに目くじら立てず、自分が正しいと思うやり方で粛々と自分の研究をやっていればイイんじゃないの、別に…」という話をされているわけです。

この話を皮切りに、非常に面白い話に発展しています。それは、仕事とは何ぞやという深い話です。

教授は、仕事(特に研究という直接実業と結びつきにくい「ふわふわ」した仕事。その意味では芸術やスポーツなども当てはまる)の一般原則として以下のことをあげられています。

1.「仕事と趣味は違う」の原則

2.「成果は客が評価する」の原則

3.「客を選ぶのはこっち」の原則

4.「誰も頼んでないんだよ」の原則

5.「向き不向き」の原則

6.「次行ってみよう」の原則

7.「自分に残るのは過程」の原則

8.「仕事の量と質」の原則

9.「誘因と動因の区別」の原則

10.「自己正当化禁止」の原則 

(以上の詳しい解説は教授のブログをご参照ください)

非常に長文でしたのですべてを要約するのが大変なのですが、要は

「何をアウトプットするかの選択権はすべて自分にある。そして、アウトプットのうち、それをお客が評価してもののみが仕事(成果)と言える。それ以外はすべて自己満足、つまり趣味の領域。また、アウトプットの量は仕事の成果とは何の関係もないが、自分の中で積み重なるのはアウトプットを繰り返すプロセスがすべて。(この繰り返しがなければ成長はないということ)自己満足についてお客に同意や共感を求めるのは論外。それは「自己正当化」。みっともないことこの上なし。」

ということです。ここで注意すべきは、これらの原則は研究や芸術、スポーツなど教授曰く「ふわふわ」した分野で言えることで、それ以外の実業にはあまり当てはまらないとされています。

この大きな違いの源が「需要と供給」だとおっしゃいます。なるほど!と思いました。

何を選択するかの選択権はすべて自分にある。「研究者になりたい」「野球選手になりたい」「サッカー選手になりたい」「お笑い芸人になりたい」「歌手になりたい」、、、これらすべて、「需要と供給」によってリスクとリターンも説明できるという考えです。実業と結びつきが強ければ強い程安定するのは当たり前です。サラリーマン稼業が安定しているのはそのためです。

お笑い芸人になろうと思っている人で、そのことを他人に強制されている人はいないと思います。そして、お笑い芸人として生活を建てられるほどの芸を前提とした需要はものすごく少ないわけです。だから、多くのお笑い芸人はいくつものアルバイトを掛け持ち、何とかチャンスを求めて食いつないでいるのです。

それは、野球選手、サッカー選手、歌手もすべて同じでしょう。彼らが、「こんなに苦労しているのに、いつまでたっても活躍できないという社会のシステムはおかしい」などと言うことはあり得ないわけです。誰もが、需要と供給の仕組みを理解しているからです。

それなのに、「研究者」の世界だけはなぜか今回の騒動で多くの研究者の方の

「こういう問題が出てくるのは、若手研究者が功を焦るからで、なぜそうなるかというと、研究社会の競争主義が行き過ぎているからで、なぜ行き過ぎるかというと、研究に投入される資源(研究費や大学・研究機関のポスト)が少なすぎるからで、なぜそうなるかというと政府や自治体が研究や高等教育に対する資源配分が少なすぎるからで、したがって研究者はもっと手厚く遇されなければいけない、学位をとっても生活できない研究者が多すぎる、高学歴貧困の存在は文化的貧困だ、責任者出てこい!」

的な発言が多くの一般の人に「なるほど」と思わせている状況は普通ではないと楠木教授は鋭く指摘されているわけです。

社会的貢献度を考えると「お笑い」と「科学技術」を比較して同列に考えるのはおかしい、という声が当然予想されるとは思います。しかし、研究する側の精神的姿勢としては絶対必要なものではないかと思います。

だからこそ、楠木教授のアウトプットは「仕事」になりやすいのだと思います。