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嫌われる勇気

2017年2月1日 CATEGORY - 代表ブログ

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皆さん、こんにちは。

前回、アルフレッド・アドラーの心理学についてご紹介しました。

私がこの考えに触れたのは、前回も少しご紹介しましたが、アドラー心理学のエッセンスをギュッと凝縮した本である「嫌われる勇気」を読んだことでした。

この本は、アドラー心理学のエヴァンジェリストを自認する哲学者と少し自暴自棄的な青年との議論によって、アドラー心理学の本質を理解していくという内容になっています。

その中で、もっとも重要な考えというのは、前回ご紹介した「目的論」なのですが、今回は、本書のタイトルとなっている「嫌われる勇気」というトピックについて書いてみたいと思います。

アドラーは、人が幸せになるためには、「自由」になる必要があると言います。そして、自由とは「他者から嫌われてもいい」と思えることであるとも言います。

つまり、他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れない、すなわち人間の根本的な欲求であると思われている「承認欲求」から解放されることが、自由であり、それが可能となることが幸せに生きることの第一歩であるということです。

そして、この「承認欲求」の本質とは、他者はどれだけ自分に注目し、評価しているのかを確認することで自分の欲求を満たしたいということであり、その欲求に囚われている人は他者を見ているようで、実は自分のことしか見ていないということになります。

逆説的ですが、「承認欲求」に囚われているうちは他者を見ているようで、実は他者への関心を失っており、自分にしか関心がない、すなわち自己中心的な考え方であるということです。

そのような考えから脱却するために必要なことは、他人の評価とは関係なく、「自分には価値がある」と思えるようなことだけを行うことだと言います。

それはつまり、「他者への貢献」とも言い変えられます。

このように見てくると、アドラー心理学における幸福の定義は、「幸福とは貢献感である」ということになるようです。

ただ、私自身、「他者への貢献」というのが、心の奥底でどうしても「承認欲求」と結びついてしまい、「貢献感」と「承認」とを混同してしまいそうな気がするのです。

この混同を乗り越えられたかどうかの判断の仕方として、非常に分かりやすい例示がなされていました。

それは、自分の行為に対して、相手が「褒めてくれる」のか、「感謝してくれる」のかを見極めるということです。

「よい」と褒められるのは所詮他者の物差しによるものです。

一方で、「ありがとう」という感謝の言葉は、評価ではなく純粋で絶対的なものです。

人は感謝の言葉を聞いたときに、他者に貢献できたことを知るのです。

他者の物差しではなく、自分の主観で「他者に貢献できた」と感じることこそが、「幸福」であるというシンプルだけれども非常に鋭い視点が「嫌われる勇気」という言葉にはあることを知りました。

 

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