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学歴と仕事

2013年6月9日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

タイトルの「学歴と仕事」。

この二つは本当に永遠のテーマであり、謎だと思います。

巷では、「社会に出れば学歴なんて関係ないよ。仕事ができるかできないかだよ」といわれますし、最近では、「実力主義(実績主義)」などということが普通に言われるようになってきました。

しかし、実際に就職活動の時期になると、「やっぱり結局は学歴で決まってしまう」という言葉が大勢を占めています。

また、大学全入時代になって、誰でも大学にははいれるという状況になったにもかかわらず、上位校の競争率は変わりません。

つまり、学歴というよりは偏差値による「学校歴」がものをいうというのは当たり前のようです。

実際のところはどうなのだろう?と毎年のようにこの議論についての雑誌の記事や本が出版されますが、やはり結論には達しません。

先日偶然、本屋さんでこのような本を見つけましたので読んでみました。

この本は、「学歴に意味を見出す」派と「学歴を無視すべき」派の両方の意見を一冊の中に集めていますので、今までの議論をそのまま体現しているような「結局どっち?」という本でした(笑)

ただ、「これでもか」というぐらいこの議論についてのさまざま角度からの記事が集まっていますので、その点では頭の整理にはなったように気がします。

この本を読んでの私の結論としては、

「学歴はないよりあったほうがいいに決まってるけど、それだけを永遠の誇りのようにして生きるしかないような人を作り続けてしまうような今の日本社会の学歴への認識はちょっと修正したほうがいいのではないか」

というものです。

まずは、「学歴を無視すべき」派の意見を見てみましょう。

学歴云々の議論自体が非常にドメスティックなものであって、ニューヨークで「俺は東大を出ているんだ」といっても誰もビビらない。

そんなもののために神経を使っている日本の社会は、グローバル的にみてあまりに異常であって、そんなこと言ってること自体、やばい。今後は、ますますグローバルは加速していかざるを得ないので、早い段階でそんなものとは無縁の思考回路を身に着けておかなければ大変なことになる。

そうですね。

それは、私も実際に留学して強く感じたことです。

グローバルに仕事をするということは、結局、「あなたは何ができるのか?」のみが問われるわけで当然というわけです。

続いて、「学歴に意味を見出す」派の主張を見てみましょう。

学歴を得るために行った受験勉強は直接的にはほとんど(漢字の読み方や敬語の使い方など現代国語のほんの一部を除いて)役に立たない。

しかし、青春の真っただ中、遊びたいのを我慢して、課題に取り組む粘り強さを鍛えることにはつながる。

このことは、社会人として成功するためにはかなり重要なファクターになる。

もっと言えば、学歴は保険になるということ。

つまり、青春時代に何か他人と比べて圧倒的に優れた自分自身の能力を自覚した場合には当然のように、そのことに打ち込むはず。

たとえば、スポーツ選手、ミュージシャンなどのいわゆる「タレント(才能)」の人々です。

そのような能力を見出しきれない人々は、そのような「粘り強さ」の証明を得ることで、何もないよりは仕事に結びつく可能性を確保しておこうというものです。

このことが、世の中の大人がいつも、「学校の勉強なんて社会に出てから何の役にも立たない」というのに、自分の子供には、「兎に角勉強しろ」という根本的な理由です。

でも、先進国としての日本が今後世界経済の中で重要な地位を占めようとするためには、「粘り強く、決められたことを淡々とこなす」力ではなく、「世の中にないものを見つけ出す」力が必要になってくることは間違いないです。

その中で、「自分の希望すら我慢して、粘り強さを鍛える」ことは、逆にその力を封じ込める方向に働いてしてしまうのではないかと思うのです。

もちろん、すべての人が「決められたことを淡々とこなす」ことを駄目なことだと思う社会は社会としての安定性の観点から見てどうかと思いますのでこれはあくまでもバランスの問題だとは思います。

だからこそ、

「学歴はないよりあったほうがいいに決まってるけど、それだけを永遠の誇りのようにして生きるしかないような人を作り続けてしまうような今の日本社会の学歴への認識はちょっと修正したほうがいいのではないか」

という考えに私は落ち着いたのですが、皆さんはどう思われますでしょうか?

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