代表ブログ

民製と官製の仕事観

2008年7月20日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

少し前になると思いますが、舛添厚生労働大臣が京都にある「わたしのしごと館」という特殊法人の存続・廃止に関しての意見を述べられていました。

そもそも、そのような話を大臣がしなければならなくなるようなもののために500億円以上もの税金が投入されたという事実をどのように考えたらよろしいのでしょう?まさに、タイトルに書いた、キッザニアと私のしごと館=民間と官製のしごと観の差がすべてではないでしょうか?

私は、キッザニアのようなやり方がすべてだとは思いませんが、実際にあそこでは子供たちが生き生きとしごとごっこをして、なおかつそれに対して親たちが決して安くないお金を落とすことに十分納得しているという事実があります。

十分に親を納得させられなければ、投資したお金が無に帰してしまい犠牲者を出してしまうことになるというプレッシャーの中で文字通り命がけでそのプロジェクトの成功のために努力するのです。

しかし、官製のしごとでは、その原資は税金なのですから民間以上に命がけにならなければならないはずなのに責任の追及という最も重要なところがあいまいになっているために、命がけどころか、「とりあえず」仕事になってしまっています。

官の主導で子供たちにさまざまなしごとの一部を見せて、将来の自分の参考にさせるのであれば、社会科見学をもっと充実させ、本当の仕事の姿を見せることのほうがよっぽど役に立つし、お金もかかりません。

どんなに言い訳をしようと、公が民間にもできる仕事をやるという裏側には別の意味が隠されているという風に見られてしまいます。そうでなければ、民間が命がけでやることほど効率的に行える官の仕事は考えられないはずですから。

それでもやるということは、許されないと考えるべきでしょう。

その結果はこのキッザニアとしごと館のパフォーマンスの差が如実に物語っています。

◆この記事をチェックした方はこれらの記事もチェックしています◆