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紋切型社会を解きほぐす

2018年3月30日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回、フリーライターの武田砂鉄さんのコラムについて書いたとおり、彼のそもそも論の鋭さに感銘を受け、もっと彼の考え方に触れてみたいと思い彼の著書「紋切型社会」をさっそく読んでみました。

単行本というかなりまとまった分量の文章を読むと、それを書いた人の人となりがかなりくっきり分かるようになるものですが、本書を読んでみるとやはり彼の考え方の筋のようなものが見えてきました。

そして、なぜその彼の考え方が「説得的」なのかも分かるような気がしてきました。

それは、彼の考え、そしてそれを私たちに伝える彼の文章が赤裸々に「本音ベース」だからです。

正直な人は敵も多いが味方も多い。

そして、その姿勢を続ければ続けるほど共感的な味方が多くなり、やがては敵の存在などほとんど意味をなさないようになる。

彼の「本音ベース」の文章を一つ例示します。

「考えてみれば、どこかにおいてきた青臭さを国民が無理やり思い返す恒例行事があの甲子園というシステムだ。試合に敗れて甲子園の土をすくい集める選手を見かけるたび、選手の肩をたたきながら、この土は定期的にどこからか補充される土だから厳密には甲子園の土じゃないのさ、この事実に気づけるかどうかだよ人生は、と教え込みたくなる私なんぞはお呼びでない清らかさに満ちた世界。青臭さと忠誠心が土ぼこりの中でブレンドされた世界。その絶妙なブレンドが、どこからか運び込まれた土を甲子園の土に変えるのだ。」

これが、「本音ベース」の強さなのではないでしょうか。

そして、私は早速にしてその味方(ファン)になってしまったというわけです。

そんな私は、小学生の我が子に対して早々に「サンタクロースなどいない。父親である私こそがサンタクロースだ」と伝え、それを咎めてきた女房には「何の関係もないフィンランドの爺さんにクリスマスの日になぜだか分からないけど毎年プレゼントをもらうより、父親と母親が頑張って稼いだ金でプレゼントされた方がよほど夢があるだろうが!」と伝えて喧嘩になりました。

この本音ベースを「ひねくれ」ではなく「説得的」なものとして届けるためには、才能とトレーニングが必要なのかもしれません。

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