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「自分」の壁

2018年4月25日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

今まで養老先生の「バカの壁」シリーズをご紹介してきましたが、今回で最終回とさせていただきます。

それは「自分の壁」です。

そもそも「バカの壁」とは「物事に対する本当の理解を諦めること」だとすると、「自分の壁」とはその理解する主体である「自分」の本当の理解を諦めているという状態が存在するということになります。

主体自体の理解を諦めてしまったら、そもそもどんなものの理解についても「壁」が生じるのは当たり前で、そもそもこの問題を解決せずにはどんな壁も解決などできるはずもないというのが本当だろうと思います。

それを著者は、最後に持ってきたわけですから、そうは言っても「自分の壁」はそう簡単に乗り越えられないということなのだろうという気持ちで読み始めました。

正直言って、「バカの壁」シリーズの中で最も理解が難しいのが本書でした。

そんな難しい中でも私なりの理解をまとめてみたいと思います。

著者は「自分探しなんて無駄なこと」だと言います。

それは、人間を含めた生物の本質が共生であるからです。私たちの体の中にはとんでもない数の菌が住み着いていて、これらと共生しています。それは、すべての個体は自分自身が「環境」であり、その環境である自分自身も自然という「環境」の一部であるということを意味しています。

そう考えると個性をもって確固とした「自分」を確立して、独立して生きるなどといった考え方が実は現実味のないものだということになります。

つまり、自分は「自分」であるという自己完結はあり得ないということを理解しにくいことが、「自分の壁」であり、「自分」を含めた「環境」全体の利益を追求するように自分を仕向けることができることが、「自分の壁」を超えることにつながるということを著者は主張しているのではないでしょうか。

環境と人間とが一体化しているというのが「自分」の本質であるならば、自分探しはいくらしても結果的には当然無駄になります。

そんな本質を捉えた上での自分が生きるためのモチベーションは、「何のためにそれをやるのか」「それをやることに価値があるのか」を自分自身に問うことで高められるということです。

これらの問いの先にはすべて自分を含む「環境」全体のメリットが前提にあります。決して、「自分」自身のメリットを最大化することを問うことではないということです。

こうまとめてはみたものの、著者の意図とすることをとらえられているか自信はありません。

ですが、「自分」というものの本質については理解できたのでよしとしたいと思います。