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資料の重み

2018年3月26日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

昨日(2018年3月25日)の毎日新聞の記事に富士山頂にかつてあった気象庁富士山測候所の職員が戦中から代々つづった私的記録である「カンテラ日誌」の所在が不明になっているとのニュースがありました。

「日誌は、同測候所の支援拠点である御殿場基地事務所に保管されていたが、2004年の測候所無人化後は、同測候所を管轄した東京管区気象台(東京都千代田区)に移された。同気象台12年作成の「カンテラ日誌等保管状況調査表」によると、1936年から無人化まで68年間で計44冊あった。日々の業務や苦労話に加え、米軍機のB29飛来や空襲に焼かれる眼下の街の様子も記載。英旅客機が近くに墜落する姿も記した。毎日新聞は今年1月、情報公開法に基づいて開示請求し、「不存在」の通知を受けた。同気象台担当者は取材に「職員が私的に記したもので公文書にはあたらず、保管義務はない」と説明した。」

私は富士山のふもとで育ちましたので、365日必ず誰かがあの測候所にいるということを聞かされ、いつも上から監視されているような落ち着かない気持ちになり、おかげで悪いことをせずに済みました。(笑)

この記事を読んでみると、やはり戦争の悲劇も、航空機事故の悲劇もふくめ人間の引き起こす様々な不条理さを高い所から実際に見て記録していたんだな~と思い、かつて自分が感じていたあの「落ち着かなさ」はあながち大袈裟ではなかったのかなと思い、当時のことを懐かしく思い出しました。

ただ、そのような貴重な記録が、「職員が私的に記したもので公文書にはあたらず、保管義務はない」という理由で片付けられてしまうというのはとても理不尽に感じます。

そもそも、測候所においてのみ経験できた事実の記録は、公文書とはいえないまでも国民の共有財産としての価値は認められるべきだと思うからです。

しかしながら、昨今の行政の在り方として、完全なる公文書においても保存義務が全うできない様を考えると、そもそも保存義務のない資料にどれほど価値があるとしても保存されないのは、期待するだけ無駄だと思えてしまいそうです。

ですが、それらの任に当たる人が、自らが国民の為にその場所でその働きをしているということを少しでも意識したならば、その価値は自然と理解されるべきものであると思いますし、やはりそのような理解が当たり前にできる人こそがその任に当たるべきだと思います。

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