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次郎長とお茶と英語教育

2017年7月16日 CATEGORY - 広報ブログ

皆さん、こんにちは。

皆さんは清水の次郎長をご存知ですよね。

(写真前列の向かって左から3人目が次郎長本人。)

かつて「海道の大親分」とうたわれた博徒、すなわちヤクザの大親分であった人です。

その彼を任侠精神の徒として有名にしたのが、晩年になって社会のためにと富士山のふもとの荒れ地を切り開いた「次郎長開墾」です。

そして、ランゲッジ・ヴィレッジはまさにその次郎長が開墾した「次郎長町」にあります。

この写真は、お車でいらっしゃるお客さんのために指定する住所(ランゲッジ・ヴィレッジの住所では登録されていないカーナビがあるため)であるランゲッジ・ヴィレッジのすぐそばの元デイリーヤマザキさんの所在地のものです。

このデイリーヤマザキさんの袂の橋の名前がまさに「新次郎長橋」ですからまさにランゲッジ・ヴィレッジは「次郎長開墾」のど真ん中にあると言えます。

富士山周辺のことを詳しく説明してくれているこちらのサイトより、次郎長開墾の部分について以下を引用させていただきましたのでご参照ください。

「明治7年、清水の次郎長は、山岡鉄舟や静岡県令・大迫貞清に勧められ、静岡監獄江尻支所の囚人らを正業に就かせる目的で、彼らを使って開墾を行なった。開墾地は標高350m付近で、当時の富士山南麓畑作地の上限くらいだったが、水不足の中で荒れ地と格闘する日々が続き、脱走する者が出始めた。これによって次郎長らによる開墾はいったんは挫折するが、かわって地元の人たちが加わるようになると、開墾は順調に進み、明治17年には約76町3反(約78ha)の畑作地が、現在の富士市大渕に完成した。その後、明治21年民有地払い下げでその一部36町3反が「次郎長開墾」となった。次郎長らの功績は大きく、後にこの一帯は次郎長町と呼ばれるようになった。上の写真は、この次郎長町付近の茶園から撮った富士で、明治39年の消印がある。」

このように次郎長とご縁のあるランゲッジ・ヴィレッジですが、先日(2017年7月5日)の読売新聞の記事で恐ろしいくらいの「ご縁」を感じざるを得ない事実を知りました。

この記事は、清水にある次郎長の生家の修復が終わり再公開されることを伝える記事でしたが、その中での次郎長のプロフィールが以下のようなものでした。

「清水次郎長。1820~1893年。本名・山本長五郎。幕末には多数の子分を従えた博徒として、『海道一の大親分』と言われた。晩年は海運会社や英語学校を設立し、清水港の発展や富士山ろくの開墾に努めた。」

えっ、「英語学校を設立」?

このような情報は私も初めて耳にしまして、さっそくこの件について調べてみました。

「江戸から明治に変わり、時代の変化を察知した次郎長は、輸出茶の商人・静岡の茶商・清水港の廻船問屋を結びつけ、静岡のお茶をアメリカに輸出する事業を行います。その中で彼は、肌で英語の必要性を感じ、1876年に旧幕臣の新井幹の私塾「明徳館」の一室を借り、講師に静岡学問所の若手講師を招いて英語塾を開設しました。その英語塾の生徒の1人、川口源吉はのちに横浜から貨物船に紛れ込んでハワイへ密航し、現地で大成功をおさめました。次郎長の英語塾は、このように見事に結果を残しています。」

ちなみに、ランゲッジ・ヴィレッジを運営する大芳産業株式会社はもともとお茶の栽培、製造、販売業からスタートしています。

当時の様子については、こちらのページにてご紹介しておりますのでご興味がありましたら是非ご覧ください。なお、現在でもお茶販売部門は健在です。

次郎長とお茶そして英語教育。

このご縁には偶然を超えて運命じみたものを感じざるを得ませんでした。