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論争・英語が公用語になる日 #49

2014年5月19日 CATEGORY - おすすめ書籍紹介

【書籍名】 論争・英語が公用語になる日

【著者】  中公新書ラクレ編集部 + 鈴木義里 編

【出版社】 中央公論新社

【価格】  ¥800 + 税

【購入】    こちら

2000年に時の総理大臣、故小渕首相の私的諮問機関「21世紀日本の構想」懇談会において英語を日本の第二公用語とする可能性について言及されたことが大きな論争をよんだという事実をまだ記憶してらっしゃる方も多いと思います。

本書は、その言及とともにその構想を提示する側の知識人と反対する知識人の論を集めて整理したものです。

本書を読んでまず感じたことは反対側のある意味ヒステリックな反応の源は「公用語化」という概念の誤解によるところが大きいのではないかというです。

以前に紹介した「平泉・渡部論争」においてもそうでしたが、日本における英語に関する論争はとかく誤解を元にヒステリックな論争に終始してしまい、ことの本質についてきちんと考証することが難しいということが多いようです。

今回の場合の誤解とは「英語の公用語化」=英語の母語化(日本語の廃止)という図式です。

そもそも公用語とは、ある集団・共同体内の公の場において用いることが公式に定められた言語であり、特に公的情報を発信する際等には公用語を用いなければならないとされるものです。

そして、この構想は英語を日本における「第二」公用語にしてはどうだろうかというものであり、その前提には日本語を「第一」公用語とするものです。ですから、英語を日本の「国語」(母語)にする、すなわち日本語の廃止とか、そこまで行かなくても日本語を危機に陥れるような類のものではないということです。

この意味では、以前の記事で取り扱った「英語公用語は何が問題か」の楽天のような「社内」公用語化の議論とはまったく異なるものです。(こちらは、まさに社内での日本語の廃止という意味あいが強いので)

さらに、この議論が起こった2000年頃と現在とでは日本を取り巻く状況が大きく変わっています。例えば、この頃と比べ日本の少子高齢化に伴う労働力不足は非常に深刻となっており、この問題の解決には外国人労働者の受け入れが不可避ではないかというところまで追い込まれてしまいました。

この問題についてはブログの記事においても扱っておりますので こちら をご参照ください。

外国人の労働力を安定的、効果的に受け入れるためには英語の公用語化は非常に有効ではないかと思います。そして、このことは「日本語や日本文化を守る」云々というような精神論ではなく、ITリテラシーの議論と同じような技術論であるような気がします。

このように、その必要性を実感できる社会情勢の大きな変化の流れがあり、この件に関する私自身の印象が大きく変わっていることに改めて気づかされました。

また、現在ほとんどの日本人の生徒さんがランゲッジヴィレッジの英語だけの環境にいきなり入っても苦しみながらもなんとかやっていけることを考えると、「英語の公用語化」ということになっても、それほど恐れることはないと思います。

それより、現在すでに実行に移されてしまった「小学校英語」のように下の方向に時間的資源を求めるのではなく、日本語の教育をより一層充実させることで、子どもたちの日本語での「思考の基礎」を危険にさらす必要もなくなります。

その上で、中学、高校、大学という従来の教育の仕組みによって獲得される英語力を健康的に実用のツールとして活用できるインフラとなりうるのではないかと思います。

その結果、英語が日本語での「思考の邪魔」となるのではなく、客観的に日本語を見つめなおす機会の提供となる副次的効果も生じると考えます。

この点について、前述の「21世紀日本の構想」懇談会のメンバー、船橋洋一氏の以下の言葉が印象的でした。

「日本語の性質としてあえて論理性を欠き、明晰な言葉を避けるという傾向がある。これはグローバル社会においては確実にマイナス要素でしかない。そこで、英語という「鏡」を持ってきて、そこに日本語を映してみれば、日本語を引き締めることができる。そのことが、日本人の国際社会に向けての説明責任の自覚を高めることにつながるのではないか。」(一部加筆修正)

その具体例として以下の例があげられていたのですが、非常に納得してしまいました。

「英語が日本の第二公用語になるということは、すべての公文書において、日本語での主文に英語での副文が添えられることになるわけです。その効果として、日本語から英語に翻訳不能なあいまいなお役所用語が完全に排除されることになるのです。」

結局、この構想はあくまで構想にすぎず、具体的な計画に発展することはありませんでした。しかし、私としては「英語の第二公用語化」の価値は以上の理由から当時よりも格段に高まっていると思っています。

ですが、あくまで第二公用語としての英語はツールにすぎず、思考の言語である母語としての日本語教育の充実がその前提にあることは言うまでもありません。

 

文責:代表 秋山昌広

 

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