アネックスブログ

言葉の役割

2016年2月13日 CATEGORY - ランゲッジヴィレッジ 別館ブログ

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皆さん、こんにちは。

ランゲッジ・ヴィレッジ・アネックスとしては初めてのブログとなります。

先日、「語彙力こそが教養である」(著者:齋藤 孝 発行:角川新書)を拝読して、ある事を思いました。 本書の内容は非常に興味深いので、概要をお伝えしつつ他の方にもお薦めしたいところですが、まだ語彙力の貧困な私が下手に表現して良からぬ先入観をお持ちになるのもどうかと案じ、ここでは一部の引用に控えさせて頂きます。

本書の中で、語彙力を高める方法の一つとして、“音読”が挙げられていました。 昔は、国語の学習方法の一つとして最も頻繁に用いられた方法です。

私も小学生の頃を思い出しておりましたが、当時の先生が乗せ上手だったのでしょう。 音読には並々ならぬ熱意を持って取り組んでおり、どちらかと言うと、好きな文章は目一杯感情を込めて音読するタイプでして、お陰様でそれ以降、単なる読書の時間にも脳内は常に色彩豊かな楽団が登場して文字の世界を引き立ててくれたものです。

さて、その“音読”でふと思ったのですが、近頃やる習慣はあるのだろうか? やっていたとしても、十分意味を理解しながら(させながら)やっているのだろうか?そんな事を思いました。

昨今の痛ましい事件において、加害者と友人との直前のやり取りなどで良く出てくるSNS。 日常のコミュニケーションが全てそれで行われている訳ではないにしろ、そんな大事な話をSNSで完結させていると聞くと 果たして彼らに十分なアウトプットの場・手段は備わっていたのだろうか? と、疑問に思うことがあります。

本来、文字だけで自分の感情を表現するという事は、相当な文豪であっても100%は出来ないと思います。 だからこそ、人間は本能的にも大事な話は直接対話という方法を取るのでしょう。 大事な仕事の案件等もそうですよね。メール+電話が、基本だと思います。

もし、悩みを持っている側がもっと豊かに自分の感情を表現することが出来ていれば・・・ もし、受け止める側がもっと鋭敏に感情を察する事が出来ていれば・・・ 「たられば」を言えば切りがないですが、どうしても考えてしまいます。 言語を学ぶとは、コミュニケーションを学ぶ一つの手段だと思います。

自分の考えをより明確に表現するために言葉を学び、自分が発する言葉がどの様な影響を与えるかを判断しつつ、そこにどの様な色(感情)を乗せるかを訓練していくものだと思っています。

インターネットの充実により、インプットには事欠かない時代だからこそ、アウトプットに偏りが出る可能性がある事を危惧する必要があるのかも知れません。

かく言う私も今、ブログという方法を通じて発信しています。 だからこそ、対人コミュニケーションとしての言語教育、並びにその場の提供をこれからも重視していきたいと再確認した次第です。