
なぜ仮定法現在は「原形」なのか
2025年2月23日 CATEGORY - 日本人と英語
書籍紹介ブログにてご紹介した「一度読んだら絶対に忘れない英文法の教科書 」からテーマをいただいて書いていますが、第二回目のテーマは前回に引き続き「仮定法」です。
前回の記事にて、「仮定法において時制が一つずつズレる理由」について見ましたが、その中の「仮定法現在」についてはそれ以外の「仮定法過去」と「仮定法過去完了」とは性質がかなり異なるものだと考えています。
というのも、後者の二つは完全に「現実にはあり得ない(なかった)」ことを空想するという意味で、神の領域に深く入り込んでいるのに対して、前者である「仮定法現在」は「条件」というこれから起こる未来を空想するということでそうなる可能性はまだ存在しているという意味でその神に対する失礼さはそれほど大きくないと感じるからです。
その点をクリアにするため、この項目だけ本書より該当項目から要約引用させていただきます。
If it is fine tomorrow,we will go to the sea.
「まず、仮定法という文法ができた時代は当然ですが天気予報などなく、天気はまさに神の領域のことですから、未来から一段下げて現在形にします。一方we will go to the sea.の部分は未来の天気とは異なり、人間がコントロールできる領域です。1%でも人間がコントロールできる可能性がある領域には仮定法は使いません。そのため、この部分の時制は下げないのです。このように、神の領域と人間の領域を分けて時制を考えることで、条件副詞節を仮定法の一種としてとらえることができるのです。」
ただ私は、仮定法現在において、仮定・要求・提案・願望のうち、要求・提案・願望では、I suggest that he get married to her.のように「原形」で表すのになぜ仮定だけが「現在形」で表すのはなぜなのかが疑問でした。
これも私が主宰する数少ない「理由を解説できない」残念な項目でしたので、牧野先生の講義の最後に率直に次のように質問してみました。
「私は自身の講義の中で、確証はないのですが基本的には『仮定法現在』はむしろ『仮定法原形』というべきものであるが、最も頻繁に使用される仮定、すなわち条件節の中だけは、頻繁に使用するものだからこそ、普段使わない『原形』という違和感のあるものを避ける気持ちが働いた結果、『原形』よりも親近感のある『現在形』に変えてしまったのではないかと受講生に言ってしまっているのですが、それが正しいのかどうかと、確証がない中でもそのような理屈を自ら考えて、受講生の記憶のしやすさに資するようにする姿勢についてはどうお考えかお聞かせいただけますか?」
この質問に対する牧野先生の回答は以下のようなものでした。
「実はもともとはIf it be fine tomorrowと仮定以外の要求・提案・願望などと同様に原形であった、いやもっと正確に言いましょう、shouldがあり、助動詞の後だから原形であったものが、shouldが省略された結果、原形が残ったと考えられています。ちなみに、このshouldは義務や推量の助動詞とは異なり、まだ起こっていない現実になっていないことを表す『仮定法のshould』と呼ばれています。そして、なぜ仮定だけが、現在形なのかについてですが、まさにおっしゃる通りで、仮定、すなわち条件節ばかり圧倒的頻繁に利用されるので、そのような場合違和感があるものは嫌がられ、そのようになったと考えられます。秋山さんが確証がない中でそのように受講生に伝えることの是非については、文法については正直どこまで行っても分からないことが出てくるはずですので、どこかで線を引いて間違っているかもしれないけれども自分なりの理屈を作ることは十分ありだと思います。」
ちなみに、現代においてもこのshouldが残っているパターンとしては「仮定法未来」という形がありますが、これは未来において「起こりそうもないこと」を述べる場合の表現として機能しており、未来において「起こるかもしれないし、起こらないかもしれないこと」を仮定する「仮定法現在」とは区別されています。
この牧野先生のご回答には、今後の指導にあたって大きな勇気をいただいたことは事実ですが、一方で先生の知識の深さを目の当たりにしたことでまだまだこの道を究めるためには先が長いことを再認識させられました。