
なぜ英語圏では「雑談」が重要なのか
2024年8月27日 CATEGORY - 日本人と英語
書籍紹介ブログにてご紹介した「サバイバル英会話」からテーマをいただいて書いていきたいと思いますが、第一回目のテーマは「雑談の重要性」です。
私はこれまで、アメリカ留学でのアメリカ人との関係、それからランゲッジ・ヴィレッジでの講師との関係の中で、どうしても解消することのできない「違和感」を感じてきました。
それは、毎日の朝の挨拶、昼に顔を合わせたときの挨拶、帰宅時の挨拶など、完全なるルーティーンとしての「挨拶」においても、いわゆる「雑談」を入れてくることです。
私も、毎日顔を合わせている場合にも、朝昼晩と「挨拶」をする必要性はもちろん感じていますし、笑顔をもって挨拶をすることは普通です。
ですが、「毎日顔を合わせている」からこそ、何か特別な必要性がない場合には、「挨拶」以上の「やり取り」をこちらからしようとすることはほとんどありません。
しかし、彼らの多くは「毎日顔を合わせている」場合であっても、そこに何かの「やり取り」を入れてくる可能性が非常に高いのです。
このことに対して、このように文字化すると「こいつ性格悪いな」と思われてしまいそうで気が引けるのですが、あえて書きます。
彼らの「挨拶」以上の「やり取り」が、私(多くの日本人に確認しているので私だけではないということは確かです)にとっては、正直めちゃくちゃ「ウザイ」のです。
ですので、私は毎日顔を合わす外国人に対しては、あえてかなり明確に「そっけない」雰囲気を出しつつ、その「やりとり」に深入りしないようにしてしまいます。(もちろん、挨拶自体は笑顔をもってしますので、嫌っているとか、機嫌が悪いとかというように誤解されることはないと思います。)
それでも、彼らは全くめげずに(毎日のことですから当然)実につまらない(オチのない)ネタを入れてきます。
ですので、毎日「いい加減に察しろよな~」と思いながら、でも「なぜ彼らはこうなのか?」という疑問を持ち続けてきました。
ところが、本書にはそのような私と彼らとのギャップが生じている理由がばっちり書かれており、長年の疑問が解消されましたので以下、共有したいと思います。
「英会話における雑談の重要性については今まで書籍としてまとまった形で語られることは多くありませんでした。それはまだその重要性が気づかれていないということかもしれません。先日オーストラリアのホテルのエレベーターで年配の夫婦と乗り合わせたときのことです。彼らは見知らぬ私に『How are you?』と話し換えてきます。それにこたえると、その二人は話を切り上げるどころか、『4キロ先のホッケーのスタジアムから歩いてきたのよ』と言います。『あなたも行くといいわよ』と。そして『あなたは今何をしてきたの?』と聞くわけです。『朝食を食べてきた』というと『How was it?』という具合です。その会話の内容にさほどの意味はないでしょう。ここで強調したいのは、同じエレベーターに乗り合わせただけの人と普通にそんな会話をする文化があるということです。」
上記で、私の言いたいことが伝わったかな~と心配だったのですが、本書のこの「そんな会話」がまさに私の伝えたい内容そのものなのでした。これを毎日顔を合わせているのにもかかわらずしぶとくやってくるので、その「オチのなさ度」はどんどん加速していくわけですから、別に私が特別に性格が悪いわけではないことをご理解いただけますよね?(笑)
そうです、上記は私の個人的な性質のように書いてきましたが、実はこれは私だけではなく日本人の一般的な性質だと言えるはずなのです。
これはすなわち、英語圏の人間は「つまらない会話(オチのない話)」よりも「沈黙」のほうが圧倒的に耐えられないのに対し、私達日本人は「沈黙」よりも「つまらない会話(オチのない話)」のほうが圧倒的に耐えられないということなのだということです。
そしてそれは、それぞれの「文化」だということです。
このように、長年の「疑問」は解消されましたが、「違和感」はこれからも残り続けるのだと思います。
多様性の「受入」は「理解」よりもずっと難しいのだと実感せざるを得ません。