
ブリテン島とケルト文化
2025年3月17日 CATEGORY - 日本人と英語
書籍紹介ブログにてご紹介した「英語は語源×世界史を知ると面白い」からテーマをいただいて書いていますが、第三回目のテーマは「ケルト文化」です。
日本では「ケルト」と聞いても、サッカーの「 The Celtic FC(セルティック)」くらいしか思いつかない方も多いとは思いますが、本書ではこの「ケルト文化」がブリテン島すなわち現在のイギリスに大きな影響を与えた重要な文化であることが明らかにされています。
以下に、該当部分を要約の上引用します。
「現在、Britonと言えば『英国人』のことだが、歴史の中で語られるBritonはローマに侵略された頃の『ケルト人』を指す言葉となる。ブリテン島はローマ化が進み、被支配階級のケルト人が話すケルト語と支配階級であるローマ人が話すラテン語が共存していくことになる。しかしながら、ローマ帝国が衰えを見せ始めた五世紀ころにゲルマン人の一派であるアングロ・サクソン人が侵入したことで、ケルト人はスコットランド、ウェールズ、アイルランド、コーンウォールなどの地方に追いやられることになる。ケルト語から派生したゲール語はスコットランドでは死語になりつつあるが、アイルランドでは英語とともに公用語となっており、ケルト文化が引き継がれている。」
このケルト人の文化で私たち日本人に最もなじみ深いものとして、「ハロウィーン(Halloween)」があります。
「10月31日のハロウィーンの起源はケルト人が秋の収穫を祝っていた『サウィン祭(Samhain)』にあり、語源はゲール語で『夏の終わり』。古代ケルト暦では10月31日は一年の終わりの日、つまり大晦日のことで、この日に祖先の霊が家族に会いに戻ってくると信じられていた。日本でいえばお盆と秋の収穫祭と大晦日がいっぺんに来るような日である。祖先の霊とともに悪霊もやってくると考えられており、その悪霊に自分が人間であることを悟られないように、火をたいたり、仮装をして身を守ったと言われる。中世のカトリックでは11月1日を『諸聖人の日=All Saint’s Day(万聖節)』として祝っていたが、この両日が結び付けられて、Halloweenの習慣となっていった。特にアメリカでは宗教的な色彩が薄れて、子供や大人が仮装して楽しむイベントになり、日本に初めて伝わったのは東京の原宿で1970年代のころだった。」
では、なぜこの日を「ハロウィーン(Halloween)」と呼ぶのでしょうか、これについて以下のような説明がありました。
「HalloweenはAll Hallow’s Evenが語源で、『All(すべての) Hallow(聖人)Even(前夜)』ということ。」
えっ?前夜はeveじゃないのか?
と思ってウィキペディアで調べてみましたら、
「eveはevening(夜、晩)と同義の古語evenの語末音が消失したものである。」
とあり、そのeveが「晩」ではなく「前夜」という意味になった理由に関して、
「ユダヤ暦およびそれを継承する教会暦では、現在の暦のように0時ではなく日没を日付の変わり目としていた。したがって、この暦を採用する教会では、12月24日の日没から12月25日(教会暦)が始まるので、この日没時から0時までがクリスマス・イヴということになる。そしてクリスマスの一日は12月25日の日没に終わることになる。つまり、『クリスマス・イヴ』とは『クリスマスの前夜』ではなく、その言葉の通り、まさに『クリスマス当日の夜』なのである。ただし、キリスト教国においても現代の概念を用いて『クリスマスの前夜』と説明することがある。転じて、俗に12月24日全体を指すこともある。」
との説明がありました。
そして、この「eve」はクリスマス以外にも例えばNew Year’s Eveのように「前夜」という意味で一般に使用されるようになっていたということなのでしょう。
このように見てみると、「ケルト文化」の象徴のような「ハロウィーン(Halloween)」でさえも、キリスト教文化の影響をしっかり受けていることが確認できます。