日本語で科学するのは世界への貢献
2018年7月1日 CATEGORY - 日本人と英語
前回より「日本語の科学が世界を変える」からテーマをいただいて書いていますが、第二回目の今回は、「日本語で科学すること」それ自体が世界への貢献につながるという考え方について議論してみたいと思います。
現在の科学技術の基本はもちろん、西欧の人々によって形作られたということに間違いはありません。
そして、それを形作るための思考はまさに、英語をはじめとする西欧言語によってなされてきました。この事実は動かしようのないものであり、科学技術の世界ではどこまで行っても西欧言語、特に英語がメジャーな存在であり続けることは確かです。
しかし、だからこそ、ある意味新しい切り口としての「ネタ」が尽きつつあるということもあるのではないでしょうか。
言語は、それ自身で成立するものではなく、その歴史、文化背景に強く影響を受けています。ですから、それを使って思考する人々の基本的な見方というのはどうしても偏りができて当然だと思うからです。
ですから、西欧言語が成立した文化背景とは異なる文化背景を持つ言語による世界の切り取り方があるとすれば、それ自体が価値を持つということになるはずです。
ところが、彼らの常識としては西洋言語以外で科学することなどあり得ないという時間が長く続きました。
そんな中で、西欧言語以外でほとんど唯一、日本語だけが科学する力を手にしたわけです。
本来であれば、このことを私たち日本人はもっと自覚するべきなのです。
著者はこのことの価値を、日本人が自覚する前に西欧人に指摘されてしまっていたという事実を発見しています。
それは、ドイツの理論物理学者ハイゼンベルグによって「現代物理学の思想」に次のように書かれていました。
「例えば、この前の大戦以来日本からもたらされた理論物理学への大きな科学的貢献は、極東の伝統における哲学的思想と量子論の哲学的実態の間に、何らかの関係があることを示しているのではあるまいか。素朴な唯物的な思考法を通ってこなかった人たちの方が、量子論的なリアリティーの概念に適応することが、かえって容易であるのかもしれない。」
まさに、マイナー言語をつかさどる私たち日本人だからこそ作り出せる価値の存在を明確に認識されていると言えると思います。
このことをしっかりと恥じつつ、改めて日本語で科学すること自体が世界の科学技術への貢献につながることを再確認しました。