
冠詞がもつ論理
2019年3月13日 CATEGORY - 日本人と英語
先日、書籍紹介ブログにて「英語のこころ」という本をご紹介しましたが、本書からいくつかテーマをいただいて書いていこうと思います。
本書は英語と日本語の語彙の一対一の関係に関する無理に伴う「悩み(著者は楽しみと認識)」について書かれているわけですが、その悩みが最大化されるのは、ズレているどころかそもそもその概念が全く存在しないケースではないでしょうか。
そのようなケースの一つに「冠詞」があります。そこで第一回目のテーマは、「冠詞がもつ論理」としたいと思います。
冠詞については今までこのブログでも何度も取り上げてきましたが、本書にて著者が取り上げている視点が非常に面白かったのでご紹介します。
まずおさらいですが、不定冠詞のaと定冠詞のtheの違いは、前者が付く名詞は話し手と聞き手の頭の中で、その名詞の「イメージ」が共有されていないのに対して、後者が付く名詞は、その「イメージ」が共有されているというものです。
具体的に言えば、「私はネズミが大嫌い。」のネズミにつくべき冠詞はaで、「ウォルト・ディズニーはネズミに魂を吹き込んだ。」のネズミにつくべき冠詞はtheということです。
これで基本的にこの二つの違いについて過不足なく説明ができているはずですが、本書にはこの説明に反しない中で非常に興味深い事例が紹介されていたので引用したいと思います。
まずは、不定冠詞 a に関して。
「日本語ではなかなか同じ語感が伝わらない英語表現として、英語の冠詞の語感があります。それは次のような場面です。映画スタジオにかかってきた電話に出た受付のSANDYという女性が、それを切ってからすぐに社長秘書にWho was that?と相手の名前を聞かれるシーンがある。
SANDY: This is 〇〇 office. No, I am sorry. He is not in yet. May I take a message? Yes, Mr.Levy,I will tell him you called.
CELIA: Sandy, never say that. He is either in conference or in a meeting. He is always in. Now, who was that?
SANDY: A Larry Levy?
このように彼女は不定冠詞のaをその名前に付けて答える。簡単に言えば、不定冠詞のa が名前の前にあることによって、『私は聞いたことのない人だけど、ラリー・リーヴィという名前だった』という意味が表されるのだ。その論理を敷いて説明すれば、『世の中にはラリー・リーヴィという名前の人間は複数いるだろうが、今の電話はその複数の中の一人からだった』という不定冠詞のaの本来の働きを示しているのである。」
学校英語の常識では、固有名詞というのはその名前の所有者にspecific(特有)なものなので、冠詞はつかないというか、むしろ当たり前のようにtheが付くはずなのでそれが省略されているとすらとらえられます。
しかし、よく考えれば、この会話のように突然会話の中にラリー・リーヴィという名前が登場したら、それは少なくとも聞き手は(この場合は話し手も)この「ラリー・リーヴィ」のイメージなど共有しているわけがないので、まさしく A Larry Levyのaは「不定冠詞のaの本来の働きを示している」と言えるのではないでしょうか。
続いて、定冠詞theに関して。
「『あの唯一の』と強調するこうしたtheは、以下のような用いられ方もします。
She is a Kitagawa Keiko, not the Kitagawa Keiko.
つまり、『かの有名な』北川景子ではない、世の中に数いるキタガワケイコさんの中の一人だということです。また、このように『複数の中の一人にすぎない』ことを強調するこうしたaの発音は、通常の『ア』ではなく、『エイ』と発音する。また、『あの唯一の』と強調するthe は『ザ』ではなく『ジィー』と発音される。」
これなどは、先ほど私が例に題した「ウォルト・ディズニーはネズミに魂を吹き込んだ。」よりもずっと、「定冠詞のtheの本来の働きを示している」と言えると思います。
これらは、日本語では「という人」「かの有名な」という複雑な表現をしなければ表現しきれないところを、英語では「a」「the」という一つの単語でやってのけてしまうという意味で、「英語と日本語の語彙の一対一の関係に関する無理」の典型例ではないかと思うわけです。