「自分は英語が出来ないが子供には」はもうやめよう
2022年8月17日 CATEGORY - 日本人と英語
書籍紹介ブログにてご紹介した「英語が出来ません 」からテーマをいただいて書いてきましたが、第五回目の今回が最終回です。
最終回のテーマは「大人の言い訳」です。
英語教育の仕事をしていると頻繁に遭遇する言葉に「自分は英語が出来ないが子供には同じ苦労はさせたくないので子供には(英語を習得させたい)」というものがあります。
でも私にはこの言葉は今回のテーマである「大人の言い訳」にしか聞こえないのです。
耳が痛い方がほとんどだと思いますが敢えて言います。
「自分は英語が出来ない」ことで「今苦労している」なら、その苦労をこれ以上しなくて済むようになぜまず「自分が英語を習得」しようとしないのですか?
おそらく、というか、これは100%といっていいと思いますが、「親が英語が出来ない」ことで現実に「今苦労している」様子を子供が見ていたとして、「親が(その苦労をこれ以上しないために)英語を学習し始めた」のを目撃したとしたら、その子供は間違いなく隠れてでも「英語を学習したい」という気持ちになるはずです。
この私の主張と全く同じ指摘が本書にあり、まさに「我が意を得たり」と膝を打たずにはいられませんでした。
それは、このブログでも「語学はやり直せる!」「ぼくたちの英語」の二冊をすでにご紹介済みの神田外語大学の黒田龍之助特任教授の次の指摘です。
ちなみに、黒田氏はロシア語、英語、ウクライナ語、ベラルーシ語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、チェコ語など多言語を操るマルチリンガルです。
「大人は『自分は話せない、だから子供たちに』といいます。では自分はやらないの?やらないですね。外国語教育の議論の面白いところは、多くの人が自分より下の世代に対して、自分はやらないことを求めることです。自分には降りかからない話をしているわけです。だけど、もし政府が『英語を話せなかったら年金を出さない』と言い出したら、大人たちから暴動が起きるでしょう。『グローバル人材の育成が必要だ、だから英語だ。』それは『追い詰め理論』です。追い詰められて人は学びますか?高校生を入試改革で追い詰め、小学校に英語を入れて小学校の先生を追い詰める。追い詰めれば変わると考えるのが不思議です。それで外国語を勉強するなら、僕だってロシアのマフィアからトカレフを手に入れて、背中に突き付けてあげますよ。『ロシア語を勉強しないと撃つぞ』ってね。そうじゃないですよね。なら、どうしたら外国語が面白くなるか、一緒に考えましょう。」
黒田氏が日本人が英語が出来るようになるための処方箋として考えているのは、「英語の必要性を認識する」を飛び越えて「英語学習それ自体を楽しむ」ことができるよういかに仕向けるかということです。
「自分は英語が出来ないが子供には」と思って、子供に「英語を勉強しなさい」といっている時のあなたの顔はどんな表情をしていますか?
本来、英語を学ぶということは今まで分からなかったことが分かるようになることであって、それは楽しいことのはずです。
でも、その言葉を発する時の顔の表情にその「楽しい」が表れていることは決してないはずです。
嫌なものから自分は逃れながらも、それでも子供にはそれを強いる「罪悪感」のようなものが表れているのではないですか?
英語を学習することによって、「今苦労している」という現実を改善することで明るい未来を感じるだけではなく、今まで知らなかった新しい知識を習得することで知的好奇心が満たされる心地よさを感じながら、「だから一緒に英語を学習しよう」と子供に対して言えるのであれば、間違いなくその顔の表情には「罪悪感」ではなく「楽しさ」が表れているはずです。