
完璧な一文より柔軟に複数の文を
2019年3月27日 CATEGORY - 日本人と英語
書籍紹介ブログにてご紹介した「プロフェッショナルイングリッシュ」からいくつかテーマをいただいて書いていますが、第三回目のテーマは、「コミュニケーション」と「完璧主義」の関係についてです。
本書では日本の従来の英語教育では日本人を英語話者に育て上げることができなかった理由を、その教育が「試験対策」中心の教育に成り下がってしまったためだとしています。
そして、日本人全体が「試験対策」を何度も経験するうちに、英語という「教科」に対して慎重になりすぎてしまって、「英語を使用する」という発想から遠く離れてしまったことだと断じています。
私は、その考え方はほぼ正しいと思っています。
具体的には、「文法」を文章を作るルールとして扱うよりも、穴埋め、並べ替えといったように、それ自体をパズルのパーツのごとく扱うことで試験のための試験という独自の英語観を作り出してしまいました。
また、その英語観の下では、「通じる」かどうかということよりも、「正解」かどうかという視点が最も重視されるようになってしまったのです。
本書では、このような日本人独特の英語観に対して以下のように問題視しています。
「これでは、まさに『木を見て森を見ず』といってもいいでしょう。皆さんが仕事で英語を使う相手は、あなたの英語を通じてあなたの考えを知りたいのです。そのために必要なものは、一つの文を慎重に作ることではなく、複数の文を柔軟に使いこなすことです。どんなに正確に組み立てたとしても、一つの文で表現できることは限られています。複数の文を連続して繰り出すことで、十分に自分の考えを伝えることができます。複数文の持つもう一つのメリットは、文のパーツや発音を多少間違えても全体の意図が通じる確率が高いということです。」
実は、私もこの問題にかなり前から独自に注目してきました。
その証拠に、本書でのこの指摘は、ランゲッジ・ヴィレッジの姉妹組織である日本実用外国語研究所(JIPFL)が運営するSEACTテストの趣旨とも完全に一致します。
以下、「SEACTテストの趣旨」より該当部分を引用します。
「私たちは、ある特定の単語と文法をつかって文章を作れなくても、それ以外の単語と文法を使って、 別の文章を作り上げて、その内容を相手に理解させればそのコミュニケーションは『完璧』と判断しています。逆に特定の単語を知っていても、 それをスムーズな文章に乗せて適切な文脈を作り出せることができなければ、いわゆる『あの人の話は難しくて何を言いたいのかわからない』となるのではないでしょうか。つまり、コミュニケーション能力の評価は、知識を『知っているか知らないか』ではなく、『文脈を作り出せるか出せないかどうか』です。 」
この理解は、コミュニケーションツールとして英語を習得するというスタンスをとるならば、絶対に必要なものだと思います。