
日本人が見習うべき英語㉑ :ネルソン・マンデラ編
2026年8月26日 CATEGORY - 日本人と英語

シリーズ「日本人が見習うべき英語」において、前回は国際刑事裁判所(ICC)所長 赤根智子氏の英語でしたが、第21回目は、元南アフリカ大統領 ネルソン・マンデラ氏の英語を取り上げます。
今回、このシリーズにマンデラ氏を加えることにしたのは、先日代表ブログにおいて「ネルソン・マンデラの言葉」という記事を書くにあたって彼の言葉を次のような読売新聞の記事によって知ることができたからです。
「人種差別と闘い、対話によって南アフリカを民主化に導いたネルソン・マンデラは27年を獄中で過ごした。多言語が共存する地にあって、看守の母語を学んだ。次の言葉が伝わる。『相手が理解する言葉で話しかければ、頭に届く。相手の母語で話しかければ、心に届く』異なる故郷の言語に親しむことは、相手の心に歩みよることでもある。(中略)マンデラは『良い頭と良い心は、常に最強の組み合わせである』と述べた。言葉とは、頭と心をつなぐ架け橋でもあるのかもしれない。」
彼の人生をまずは見てみることにしましょう。
ネルソン・マンデラ氏は、1918年に南アフリカの部族の首長の子として生まれ、大学で法律学の学位を取得した後、1952年に弁護士事務所を開設します。第二次世界大戦以後、世界では人種差別撤廃運動が進展していくにもかかわらず、南アフリカでは1948年にアパルトヘイト(人種隔離)が法制として確立され、以後強力に推進された中で、アフリカ民族会議(ANC)で黒人の権利を守る運動を始めます。
政府の弾圧が強まる中、最初は非暴力で政府と対峙しますが、次第に武装闘争へ方針を転換し、1961年に軍事組織を作り最初の司令官となります。1962年に逮捕されて、1964年に国家反逆罪で終身刑が言い渡され、通算27年間を監獄の中で過ごすことになりました。
マンデラ氏はこの時期に結核などの呼吸器系の病気にかかったり、石灰石採掘場での重労働によって目を痛めたりましたが、収監中にも勉学を続け、、アパルトヘイトの主要勢力であるアフリカーナ(オランダ系移民を中心とする白人)との対話に備え、アフリカーンス語(オランダ語を基礎として現地の言語等を融合して形成された言語)を身につけました。
(冒頭でご紹介した記事の「看守の母語」とは英語ではなくアフリカーンス語だったと推察されます。)
次第にマンデラ氏は、黒人解放運動の象徴的な存在とみなされるようになり、国際社会から彼の釈放が求められるようになっていきます。そのような国際的な批判に耐えかねた当時のデクラーク大統領により、1990年ようやく彼は釈放されます。
釈放後、南アフリカ政府と粘り強く交渉し、アパルトヘイトを平和的に撤廃させることに成功し、1993年、デクラーク大統領と共にノーベル平和賞を受賞します。
そして、1994年、遂に全人種が参加した初の総選挙で大統領に就任すると、白人への報復を禁止しながら人種融和の国づくりを進め、1期5年で大統領を退任し、2013年に95歳で生涯を終えられました。
それではいよいよ彼の英語を聞いてみましょう。
前回の赤根氏と同様、非常に丁寧でしっかりとした英語ではありますが、流暢さはそれほど感じられないかもしれません。
ですが、そのような姿勢を貫いて目的を達成するために「英語」という武器をそこまで流暢ではなくとも効果的に活用するマンデラ氏の姿は赤根氏とともに、私たち日本人にとても大きな勇気を与えてくれるはずです。









