日本人と英語

日本企業は本当に「グローバル人材」を必要としているのか

2025年4月27日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログでご紹介した「英語ヒエラルキー」よりテーマをいただいて書きたいと思いますが、第一回目のテーマは「日本企業とグローバル人材」です。

本書では、純ジャパながらEMI実施校出身の人々が「『日本の暗黙のルール』に対する適応困難者」となりながら「英語へのコンプレックスもいまだに解消されていない。」という絶望的な状況に置かれてしまうことに対する問題意識とともに、もう一つ、グローバル人材を求めているとアピールする日本企業に対して、彼らがそれでも日本人としては「英語強者」であることを前面に出しつつ就職した企業において、自分の能力と企業のニーズのミスマッチに直面して、さらに悩むという問題についても取り上げられていました。

そのミスマッチさというのは具体的には以下のようなものでした。

「入社するときに、どんな仕事をしたいですかって聞かれて、英語を使って仕事をしたいですって言って、その部署になったんだけど、英語を全然使わないじゃんみたいな。」

「仕事は海外向けに出荷する装置のマニュアルを英語に訳すというもの。訳すと言ってももともとその翻訳専門の翻訳ソフトってのがあって、それにかけたらぱっと出てくるやつだった。なんか私じゃなくていいじゃんみたいな。誰でもできるじゃん。こんなの。」

このような反応を見てみると、一般的な日本企業は本当は「グローバル人材」なんて必要としていないのではないかという疑問が浮かび上がってきます。

そこで本書では、2012年に首相官邸によって公開された「グローバル人材育成戦略」に記されたグローバル人材の概念を構成する以下のような要素をもとにして、「グローバル人材」の定義を明確化しようとしています。

要素Ⅰ:語学力・コミュニケーション能力

要素Ⅱ:主体性・積極性、チャレンジ精神、協調性・柔軟性、責任感・使命感

要素Ⅲ:異文化に対する理解と日本人としてのアイデンティティ

その上で、著者はEMI実施校がこれらに該当する人材を輩出できているのであれば、その卒業生である彼らは「グローバル人材」にあたるはずで、そのような能力を持つ彼らが上記のような感想を持っているとしたら、両者のミスマッチは確かに存在するはずだと考えました。

以下がその評価です。

まず、要素Ⅰ:語学力・コミュニケーション能力については、少なくとも通常の大学新卒生との比較においてはおおむね達成できているとしています。(これはTOEICや英検などの客観的な成果によって把握可能)

続いて、要素Ⅱ:主体性・積極性、チャレンジ精神、協調性・柔軟性、責任感・使命感についても、おおむね達成できているとしています。しかし、だからこそ逆に、EMI実施校卒業生の多くがこれらの要素を発揮しようとした結果、「変な人」として扱われ、しだいに自己評価を下げ、それらを発揮しなくなってしまうと言います。

最後に、要素Ⅲ:異文化に対する理解と日本人としてのアイデンティティについては、前者の「異文化に対する理解」はもちろん達成できているとしている一方で、後者の「日本人としてのアイデンティティ」は大いに問題があり、この点こそが彼らを悩ませている最大のポイントであるとしています。

著者は、この「日本人としてのアイデンティティ」をグローバル人材の要件に入れている点で「日本人である」ということを強調し、強要していると捉えています。

つまり、この二つを両立させるということは、革新的な発想をしてほしいが、日本が尊ぶ「和」は乱さないでほしい、という意味なのではないかということです。

日本社会の要求は、異文化に対する理解はあっても、自身の中にある異文化は許さず、「普通の日本人」として存在することを強要するという矛盾をはらんでいるということになります。

私は、書籍紹介ブログの「英語ヒエラルキー」の記事においては、本書の問題意識を少しずれているのではないかという評価をしましたが、この点については少なからず著者の主張には合理性があると感じました。

著者の問題意識の合理性をより明らかにするEMI実施校出身者の言葉を以下に引用します。

「本当にグローバル人材って言うんだったら、海外から日本に来たい人とかも取ったほうがいい。何で日本人が海外に向いていることがグローバル人材かっている話になっちゃう。だから、例えば外国人が日本に行きたいって言ったときに、その人もグローバル人材じゃんっていうことだよね。日本人がっていうところに縛られている限りはグローバル人材なるものは、真の意味では社会としては達成できない。」

日本企業はまだまだ変わるべき部分を残していると思います。

 

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